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現金輸送体験記


 子供の頃、テレビで現金強奪事件が報道されていたとき、父親がこんな話をした。「そういえば、仕事で三百万くらいの現金を同僚と一緒に銀行まで運んだことがあったが、結構興奮した。」 それ以来、現金を運ぶというのはそういうものなんだろう、と思うようになった。

 それから十何年かが経って就職し、自分で金を稼ぐようになったのに、給与が銀行振り込みになったこともあって、まとまった現金を手にすることがなくなった。しかしついに最近になって、どうしても自分で現金を運ばなければならなくなった。銀行から事務所までのほんの短い間だが、百万円を運ぶ。

 個人にとってはなかなか無い機会だ。ドキドキしないだろうか?

 ドキドキするというのは、自分の意志とは関係のないところで起こる。いつの間にか胸が高鳴ってしまう。自分は落ち着こうと思っているのに、勝手に心臓がドキドキしてしまう。心拍数が勝手に増える。意識しないところでひとりでに自律神経系が興奮している状態だ。

 同じ事は人前で演技をしようとしたり、発言をしようとするときにも起こる。いつの間にか声がうわずってしまう。自分のことなのに自分で自分をコントロールできない。大金を運べば知らぬ間に、心臓がドキドキして息も荒くなるのかもしれない、と思った。

 そしてついにその日がやってきた。まず郵便局に行って定額貯金を降ろした。額は35万円。窓口の男性は表情一つ変えずに渡してくれた。外に出ても思ったほど何とも無かった。次は銀行だ。カードが無かったので、やはり窓口で50万ほど降ろした。窓口の女性も特に表情を変えることは無かった。それからその両方を持って一度自宅に帰ることにした。手持ちの金を加えて百万円の札束にするためだ。

 郵便局で降ろした35枚と、銀行で降ろした50枚に、手持ちの15枚を加えて100枚にして封筒に入れた。厚みは一センチくらいになった。なかなか拝めない光景だ。そして最終目的地の事務所に向かった。

 歩きながらドキドキするのかどうか、自分の中の変化を観察した。すると・・・、

 びっくりするほど、変化が無く平静だった。それも無理はない、と思い当たることがあった。実はこのところの猛暑で、アスファルトやコンクリートからの照り返しや日差しの方がものすごい状況だったのだ。

 自律神経の方も、百万程度の現金輸送より猛暑の方がただならぬ状況だ、と判断したらしい。また機会があるのなら、次はもう少し涼しい日にやってみたい。

-2004/7/28




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