あるテレビ番組を見て興奮したことがありました。それは生まれ故郷の見慣れた風景が番組の最後に登場し日本一住みたいところ、と紹介されたからです。そんなに良いところだったのか、そんな話は初めて聞いた、などと思いながらもそこで改めて故郷を見直したりしたわけですが、にもかかわらず私は子供の頃、見慣れた風景に退屈していました。
きれいなはずの空や海や山河の景色より、はるかにテレビアニメの作られた映像に心を奪われていたからです。そして子供ながらに、どうして単純な色の組み合わせにすぎないアニメの方に惹かれてしまうのか、と不思議に思ったのです。そしてその謎は長い間解けることはありませんでした。
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」 この有名な言葉は、新約聖書(マタイによる福音書)でイエスが語ったとされていますが、この”神”はキリスト教徒だけのものではないようです。人は誰かが語るフィクションのなかに自分を置かずには居られないのです。
毎日共に暮らすことが出来る現実の旦那より、誰かが語ったフィクションに惹かれて成田に集まり伝説を作り続けるヨン様ファンのおばさま達もまた、”神”の言葉を聞いているに違いないのです。旦那はパンであり重要であるにしても、ヨン様は”神”であり、彼の口から出る一つ一つの言葉の中に生きている、かのようです。
しかしこの動きはバカに出来ません。日本と韓国の間にあってしこりとなっている竹島や教科書問題を、瞬間的とは言え、吹き飛ばしているからです。そして先日韓国のKBSの報道では、教科書問題ではそれぞれが自分たちに都合の良い記述にこだわっている場合ではない、と伝えていました。
また、日本の総理大臣が靖国神社に参拝するたびに、それはやめて欲しいと、いちいちケチを付け続けている中国も、日中国交回復時に作られたフィクションを前提にして発言していたようです。つまり、戦争は一部のA級戦犯のせいであって、日本国民は中国人民と同様彼らの被害者である、従って悪人(A級戦犯)を持ち上げることさえなければ、日中間は国交を回復する意味があるとするフィクションです。
このフィクションについては、先日行われた日中首脳会談でも語られていたようです。日本人の多くは、悪いのは一部のA級戦犯だけではないことを良く知っています。したがって、死んで仏となった以上、等しく魂を鎮めるために参拝するのは善、と考えるわけです。
しかしそれは、仏滅の日に結婚式を挙げたり、幼い子供に、実はサンタクロースはいないんだよ、とフィクションを否定して顰蹙(ひんしゅく)を買う行為に似ています。大安の日に結婚式が多いのは、本人が仏滅や大安を信じているからというより、信じている人がいるからその人たちに合わせている、からだろうと思います。
血液型相性判断というフィクションを楽しんでいる人に、その非科学性を主張したら石が飛んできそうです。これは誰もが、希望というフィクションを頼りに生きているからかも知れません。
-2004/11/27
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