愛煙家にとっては宿敵とも言える嫌煙活動家の行動はなぜそこまでやるのかと不思議なくらいに時々理解できない所があります。
その方も活動家と共にプラカードを持って行進した人なのだそうです。母親に「一度吸い始めるとやめるのは大変だから初めから吸わない方がいい。」という教えに従ったこと、その後疑問に思ったときは自分でタバコについて調べて「百害あって一利無し。」との結論に達したこと、さらに6才の時に肺結核で父親を亡くしたこと、そして何より頑固なまでの性格がデモ行進に繋がったようです。
また頑固であり音楽家でもあるこの方の言動を伝えるエピソードがあります。サービスと称して電車の中で流す音楽を聴いているうちに我慢の限界を超え、車掌室まで入り込んでテープを奪い取り、駅に着いた後は懇々と「音楽とは何か」と説いたそうです。そのあと音楽サービスはぴたりと止まりました。その電車とは東急東横線です。
またスキーを愛するその方はリフトに乗るたびに聞こえてくる音楽をこれはサービスと称するノイズだとスキー場関係者のところに怒鳴り込み何度も止めさせたことがあるそうです。雪音が音楽にかき消されてしまうことが我慢ならなかったのでしょうか?それは解るような気がします。
音楽家として成功するためには何が必要なのでしょうか?その方についての話を聞いた後、おそらくそれは音楽家としての才能とそれを発見して磨くための環境と、そしてその才能を活かすための考え方ではないかと感じました。
この方は8才のときからピアノを習いはじめたそうですが、それ以前から伴奏をつけて演奏する才能があったそうです。
そして頑固なまでに自分の意志を貫くところもありました。小学校の先生はすべての科目を担当しなければならないことからそれぞれの専門家ではありません。その方は先生のピアノの伴奏が間違っているとその先生に何度も指摘したために、すっかり悪い子にされてしまい、その学校に居辛くなったそうです。間違っていることは間違っていると言わないと気が済まない性格なのでしょう。そうした性格に素直に生きることは敵を増やすことにもなります。
その小学校にいよいよ居づらくなったその方は母親に事情を話しました。息子の才能に気づいていた母親はすぐに転校させ、転校先では理解ある先生に恵まれたそうです。母親に大いに感謝することになりました。
ピアノ演奏家を目指していたその方も手が小さかったために一流の演奏家になるのは不可能だと判断し、作曲家に転向しました。ところが彼には人の書いた詩を読んで詩人の伝えたいことを曲で表現する才能もありました。そのときの詩人とは「小さい秋みつけた」のサトーハチローさんのことです。
頑固なまでに正義を貫こうとする暴れん坊でありながら、その方の作る曲は人の心を癒し続けて遺族は感謝の声を聞く機会が多いそうです。それでも、どんなに優れた才能を持った人でもその作り上げるものが常に良いものだとは限りません。誰かが誤りを正して軌道修正をする必要があります。その方が”夏の思い出”に曲をつけて、母親に歌って聞かせたとき、母親の返事はノーでした。それから彼は作り直し、現在我々が知る、”夏が来れば思い出す・・・”曲になりました。
音楽的なセンスを持っていたと言われる母親をその方は尊敬していたようです。母を尊敬することは女性を尊敬することにも繋がるようです。
以上は多くの名曲を残した中田喜直さんのお話でした。
-2001/2/27 - 5/24 -2005/9/29
お断り:
このコラムは昨夜、NHKのラジオ深夜便で放送されたインタビュー番組の感想をまとめたものです。昨年亡くなった作曲家の中田喜直さんについて、夫人の中田幸子さんが多くのエピソードを語っていました。その中には上にあげきれないエピソードが含まれています。中田喜直さんが亡くなって以来、夫人にたいして講演依頼が増えたそうです。機会があればぜひ出掛けてみてはどうでしょうか?ネット上でもインタビュー記事を読むことができます。関連リンクを参照してください。
■データ
中田喜直
1943年、東京音楽大学「ピアノ科」卒業。
2000年5月3日、直腸ガンで逝去。享年76歳。
作曲家、日本童謡協会会長、フィリス女学院大学名誉教授(2000年5月)
代表曲: 「小さい秋みつけた」、「忘れな草」、「夏の思い出」、「雪の降る街を」、「めだかの学校」・・
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