どうみても泥船なのに、「大船に乗ったつもりで」といくら言われても安心できないものです。すぐに沈んでしまいそうな泥船が危険でないはずはなく、当然泥船は、”安全”な船ではない、と言えるわけです。しかし中身は泥船でも、表面を鉄色に塗れば、鉄の船だと思って安心して乗る人もいるはずです。
こう考えると、安全とは危険がない状態を指し、安心とは危険がないと思える心の状態を指すと考えることができます。しかし、誰が危険がない(=安全)である、と客観的に証明してくれるのでしょうか?
「安心してください。このマンションは震度8の地震がきてもびくともしません」と(客観的なはずの)書類を見せてもらっても、それが本物かどうか解りません。買い主は、この人が嘘をつく人かどうかも含めて総合的に判断しなければならないのです。いくら書類が完璧に見えても、書類を持っている人がうさんくさければNG、ということになります。
しかし世の中には、人を騙すためにまず自分自身を騙し、さも聖人らしく振る舞う人もいるので、この「カン」に頼りすぎるのは危険です。どうしたら良いのでしょうか?
それは、正反対の立場の人の意見を聞くことではないかと思います。それで儲かる人の意見を聞くだけではなく、それで損をする人の意見も聞いてみるわけです。概して、正反対の立場の人は敵の弱点を良く知っています。
たとえば、「オール電化」にすれば安心でしょうか?この点を検討する場合、電気会社だけの意見を聞いて判断するのではなく、ライバルにあたるガス会社の意見を聞いてみる必要があると思ります。なぜなら、ガス会社は電気というエネルギーの弱点を良く知っており、しかもそれを解りやすく説明してくれるからです。
マンションなどの建築物の場合はどうでしょうか?売り主の反対の立場の人と言えば買い主ですが、一般の買い主は専門家でもなんでもなく、情報も持っていません。建築物に不良があるかどうかなんて判断できるはずがないのです。
建築物が不良だった場合、その損害は保険会社が支払うというしくみにすれば、不良物件で被害を被る側に保険会社が加わることになります。保険会社という、情報力や資金力を持つ組織が買い主側に加われば、情報面や資金面でバランスがとれるようになりそうです。
”天敵”のいない業界や組織は、ついつい自分に甘くなり安全性も低くなるため、安心してつきあえない、ということでしょうか?
-2006/3/3
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