地球から離れて地球を眺めれば、おそらく地球にたいする見方も変わるだろうということは容易に想像できます。それは生まれたところを離れて就職したり、あるいは日本を離れて海外に出たりすれば、生まれたところや日本についての見方が変わるからです。
2月1日にはスペースシャトルの非常事態が、2日には空中分解で宇宙飛行士7名が亡くなったことが伝えられました。事故の原因は未だに不明のままですが、この先飛行を予定している宇宙飛行士たちの意志は微動だにしていないようです。
その理由について考えてみたいと思います。
今回のような事故が起きると、多額の費用をかけたうえに、犠牲者を出してまで宇宙開発を進める意味はどこにあるのか?という質問を、政策を進める国に代わって宇宙飛行士が受けることが多いようです。
そこでは宇宙開発によって得られた技術が世の中で活かされるからという説明が良くなされます。紙おむつもその中の一つですが、考えてみると紙おむつが新たなゴミの山をつくっていることも事実です。半ばおむつを強要され、おむつにプライドを奪われている高齢者も存在しているようです。こうなってくると、おむつが人類にとって得なのか損なのか、よく分からなくなります。
それでも進歩することをやめられない人類が進めている宇宙開発に何の意味があるのかと問えば、人類は何のために生まれ、どこへ行こうとしているのか、という問いにゆきつきます。宇宙飛行士はそうした問いかけを日頃から自分に行っているに違いありません。
これはなかなか答えのでない問題で、宇宙飛行士以外の人たちも一度はそうした問いかけを自分に行い、考えても仕方がない、という答えに落ち着いて、日常を過ごしているに違いないのです。
何のために生まれてきたのかという問いは、百年も経たないうちに寿命がつきてこの世からいなくなってしまう一人一人の人間に一体何ができるのかという問いかけと対になっているようにも思います。
20世紀を代表する哲学者とされるハイデッガーは、その著書『存在と時間』のなかで、人間は自分が死に行く運命にあることを知っている存在で、一人の人間が生まれ、そして死んでゆくことについての意味を考えると不安になってしまう、そこでその不安をうち消すために、日常を忙しく過ごして時間をつぶして一生を終えるという意味のことを言っているようです。
たしかに個体としての一人一人の人間は、その多くが百年も経たないうちに亡くなってしまいますが、生命は受け継がれるという考え方があります。おそらく、自分が生まれる前の祖先の一人でも欠けていれば、自分という存在は無かったでしょう。
そうやって受け継がれてゆく生命のなかで、今になって自分の順番がやってきているわけです。こんなことを意識できるのは人間が死に行く運命にあることを知っているからこそです。しかもいつ死んでしまうか分かりません。
宇宙飛行士らは仲間が空中で散ってゆく姿を目にしながら、自分もまたそういう運命を迎えるかもしれないという事情を引き受けていると言えそうです。
実際は誰であっても、明日の運命は知れないのですが、忙しくすることでそうした不安から逃れることができるし、それゆえにたいていの人の不幸は”退屈”なのだろうと思います。
例外なく宇宙飛行士らの態度に真剣さが感じられるのは、自分の順番がやって来ていることを意識しながら日常を過ごしているからなのかも知れません。
-2003/2/9
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