日本の優れた文化や人の才能を先に外国人が発見して有名になるという話はよく聞くところです。伊勢神宮の昔ながらの建造物やそれを取り囲む森に魅了されて帰っていった有名な外国人もいました。浮世絵にヒントを得たゴッホも有名です。黒澤明の「七人の侍」が西部劇の「荒野の七人」のヒントになったり、手塚治虫の「ジャングル大帝」がディズニーの「ライオンキング」を産んだことは知る人ぞ知る事実です。まだ有名ではありませんが、たまたま日本にやってきて、藍染め魅力にとりつかれ、染料の材料となる植物を育てるための畑仕事、藍の色をより濃く出すための発酵、そしてもちろんデザインや機織りなどの工程に取り組み、羨ましくも日本女性を妻にした外国人もいます。
能もやはりそれを見た海外の劇作家がそれをヒントに作品を手がけたという話も聞きました。能は幽玄の世界を描いていると言われています。幽玄とは大辞林第二版でもいろいろな解釈があるようですが、編者は「美的理念の一つで余情を伴う感動」ととらえることにしました。
能にすでに引き込まれてしまっている人はもちろんですが、そうでない人でもその中に自分に何となく理解できる”価値”を発見することが出来ればそれは静かな喜びであるに違いありません。
舞台演劇でありながら動きの少ない静止画のような世界。何を喋っているのか良く理解できない言葉。使われる楽器は笛と太鼓(正確には笛・小鼓・大鼓・太鼓の四楽器)。面をつけている人とつけていない人など。これまで何度も見たことがありながらその舞台に隔たる大きな壁を越え、僅かでも価値を感じ取れる自分を発見できることは嬉しいことです。
1/6(2002年)に放送されたのは谷行(たにこう)という奇跡の物語でした。放送時間は75分。実は編者はその放送に先立ち、谷行についてのあらすじや背景を調べていました。予備知識なしでは鑑賞することさえ難しいと感じていたからです。
谷行のあらすじはネット上でも公開されているのでここで書いてもかまわないと思いますが、感想を交えながら現代風に書くと以下のようになります。
母一人子一人で暮らす親子がいます。その子供は男の子で習い事をしているのですが、その師匠である阿闍梨(あじゃり)が修行(峯入り)に出るため暇乞いをしに母(前シテ)を訪ねます。男の子(若松)は母の病を治すため無理を承知で自分も峯入りについてゆきたいと阿闍梨に願い出ます。(母親は女面をつけた男の役者が演じていました。)
その願いは叶って山伏(やまぶし:山野に起き伏しして仏道修行に励む僧)らと一緒に山に峯入りに出掛けます。ところが若松は風邪を引いてしまいます。山で山伏が修行を行う峯入りには修行中に足手まといになる人は谷底に落とされる(谷行)という大法(山伏達が守らなければならない重い教え)があり、その大法に従って若松は谷底に落とされ石で埋められます。
これを見ていた阿闍梨はこれでは若松の母親に申し訳ないと自分も谷底に落ちると山伏らに訴えます。それなら若松を蘇らせようと山伏らは必死の祈りを始めます。
山伏らの祈りに応えるように、面をつけた役行者【(ツレ)えんのぎょうじゃ(7、8世紀に大和の葛城山(かつらぎさん)にこもって超自然的な存在にはたらきかけようと修行する呪術者)】が現れて若松の孝行心に免じて命を助けようと祈ります。すると、燃えるように赤い髪と面をつけた伎楽鬼神【(後シテ)ぎがくきじん(死者の霊魂と天地の神霊)】が呼び出され、谷底から若松を蘇らせ、行者は鬼神とともに消えます。
ここで舞台は終わりますが、シテとは主役のことで、ツレも役によっては主役と同等の扱いをされ、面をつけています。能では面をつける人は想像上の人物、あるいは幽霊と言う人もいます。
能面は参考リンクでその実際の画像に触れることができますが、動かないはずの表情がいろいろな心象風景を描いているようにも感じられます。実際、能面の価値は舞台で演じてみないと分からないとも言われているようです。
能が全体として静かなのは動きを際だたせるためかも知れないとも思いました。室町時代にその原型が出来上がったと言われる能は江戸時代には徳川幕府の儀式に用いられ、現在でも上演可能な作品として235番(大辞林第二版による)が存在するそうです。
現存する舞台芸術の中で能は世界で一番古いそうですが、なぜ現在まで続いているのか、その理由を感じ取れるような自分になれることも楽しみです。
■参考リンク
-2001/1/6
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