この言葉の意味は相手のことをよく理解する前に結婚してしまい、長い結婚生活のなかで相手を間違えたと思ってゆっくり後悔するという事でしょうか?ところが運命の出会いを経た後の結婚でも、長い春の後での結婚でも、そしてそれ以外の場合でも異性を理解すること自体が難しいということを最近の脳研究は教えています。
相手を間違えたと考えるのはそうした理解の難しさを相性が合わないせいだと考えて隣の芝生が青く見えるのかもしれません。結婚相手以外の人がまるで青い鳥のように思えたとしても明らかな言葉を含む暴力などのやむを得ない事情が無い限り、たいていは人間の犯しやすい勘違いなのかもしれません。
急いだ自分の行為が失敗だったと考える人は相手を理解しようとする気持ちと相手に敬意を払うことを忘れてますます状況は悪化して悪循環になり、成功だったと考える人は相手に敬意を払うことを忘れないため好循環になるという気がします。
敢えて真実かという問に答えようとすると、真実にするかどうかはその人自身の意志で決めることができるということでしょうか?ところがどこまでその意志を貫けば良いのかは迷うとところです。そんなときは自分のやれる範囲のことはやったと思えればそれでよいのではないでしょうか?そうであればどんな結果になっても少なくとも後悔はしないと思います。
-2001/4/9