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『大和撫子(やまとなでしこ)』はどこへ行ったのか?


 大和(やまと)は日本国の昔の呼び方、撫子(なでしこ)は秋の七草の一つですが「大和撫子」となると撫子の別名であると同時に、日本女性の清楚(せいそ)な美しさをたたえる言葉になります。清楚とは清らかですっきりしていることを意味し、清らかとは「けがれがなくて、よごれやにごりがなくて澄んでいるさま」を言うようです。(大辞林第二版より)

 米国のアングロサクソン(イギリス系白人)の男性の理想の生き方とは、イギリス風の家に住み、米国の企業に勤め、中国人のシェフのつくる料理を食べ、妻には日本女性を迎えるということだ(だった)そうです。そしてその男性諸氏が現実の日本女性に接して唖然とすることは最近よく聞く話です。

 それは最近の日本・韓国・仏蘭西(フランス)・米国の女子中学生・高校生の意識調査の結果をみるとよく分かります。今さえ良ければ良いという意味でトップを走ると「報告」されているこれからの日本女性たちです。もう、かつての大和撫子は居なくなってしまったのでしょうか?

 けがれがなくてよごれていない人がいなくなったということは汚(けが)す人や汚す人が現れたということを意味します。何が汚(よご)したり汚(けが)したりしているのでしょうか?多くの大和撫子たちは次のようなことに気がついたのではないでしょうか?


 しかし、世の男性諸君はそんな女性達の変貌ぶりに慌ててはいけません。彼女たちは進歩的な女性というマントをかぶっているだけではないかと思います。頼りになる男さえ見つかれば、身にまとっているマントを脱ぎ、ちょっとうるさくなったかもしれない「大和撫子」が姿を現します。どこへ行ってしまったのか不思議に思う「大和撫子」にお目にかかりたいのなら、かつてそのマントを被せてきた理由を取り除くくらいに男達は”頼りになる人”にならなければいけません。そしてその”頼りになる”という言葉の意味を考える必要がありそうです。

-2001/8/3



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