数日前、「自分は結婚恐怖症だ」というある男性からメールを頂きました。結婚後に起こりうる不幸、つまり子供の離反や離婚のリスクなどを考えると結婚する気になれないといいます。
結婚は義務ではないので結婚するのもしないのも自由です。逆に今はこの自由が自分で判断しなければいけないという状況を作り出し、自分で判断した後の結果は自分で責任を負わねばならないという具合に言い訳ができなくなって苦しいのかもしれません。
昔は年頃になるとどこからともなく縁談が持ち上がり、半分強制的に結婚する人も多かったようですが、その場合は上手く行かなくても、親や世間のせいにすることができました。仲の良い老夫婦が結婚した当時は大嫌いだったと、こぼれるような笑顔を見せながら話す姿を見ると結婚って何だろう?と考えたりします。
「私たちは生まれると同時に、役を仕込まれていない役者のように生を即興に演じなければならない。人間の自由は、人間にとって運命であり呪いである。」と言ったのはサルトルですが、男が威張っていた時代は男達は威張る夫を演じ、女性は何歩か後を歩くという役を演じていました。しゃしゃり出たい女性が居たように、威張りたくない男も居たはずです、しかし少なくとも外ではその役を演じなければいけませんでした。逆に言うとある程度、役は決まっていたとも言えます。
今では威張る男を演じることは自分が威張る男であることを世間に示すことになります。嫌われたくない男達は女性が望む優しい男を演じようとしますが、優しそうな男を演じることは出来ても優しくあることとはまた別の話です。
自分はこういう夫や親でありたいと願いながら、現実の自分がそれに届かず、どう振る舞えばよいのか分からず、自由であることが如何に不自由であるかを思い知って苦しむこともあります。しかし、その苦しみを味わっているのは最愛の結婚相手もまた同じだということを忘れてしまいます。
結婚恐怖症の原因は、自分がどういう夫や妻や親を演じれば良いのかイメージが湧かず、失敗してしまう自分が頭に浮かんでそれが恐怖につながっているように思います。
でもお安心ください。誰もが失敗を重ねていながらそれを表に出していないから、失敗したら自分だけが落ちこぼれているように感じますが、どんなに偉い人も結婚に関する限り、落ちこぼればかりです。編者は偉くもないのに落ちこぼれています。
-2001/7/25
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