遊びたければ街に出てナンパという手がある。する方もされる方も承知の上だから危険に見えながら意外に危険ではない。
街へ出ても出会えないような人に出会えるのが出会いのメール。メールを使って言葉によるナンパをする人もいる。言葉は気持ちの奥に入り込むから遊びというには深すぎて裏切られたときの傷も深い。
メールが気持ちの奥に深く入り込むのは言葉を使うから。言葉はその人の生き方さえ支えている。豊かになっても自分にとって必要な言葉は不足している。「おはよう!」という一言でさえ、不足して飢餓(きが)状態にある人は多い。欲しい言葉は乾いた砂に水が染み込むようにこころの奥深くに入り込んで潤(うるお)すから心地よい。
そのあまりの心地よさに揺るえが止まらず、メールを送ってくれた相手に期待するようになっても何の不思議も無い。ただ、残念ながら人をだますためにその水を汲んで待っている人もいる。
普段の出会いの場合は見える物が多すぎて、それによって連想されるものに邪魔されて相手の気持ちの奥まで見えないことが多い。
メールは逆に見えるものが少なすぎて、少ない言葉から連想されるもので相手のイメージが出来上がり、出会った後で修正を加える。
順序が違うから見る目も変える必要がありそうだ。普段出会う異性の容姿に騙されてはいけないように、メールの言葉にも騙されてはいけない。いずれもその人を飾ることができるからその人そのものではないことがある。
メールから始まる出会いは誰もが経験の少ない未成年のようなものだから、実際に会う場合は保護者にあたる信頼できる第三者が必要だ。どうしても二人だけで会いたいのなら、飾りようが無いくらいにメールのやり取りをしてその中で大人になるしかない。
-2001/7/19
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