新しいことに挑戦しようとして本を読んだりすると、チンプンカンプンだったりします。次から次に知らない言葉が出てくるのですから当然と言えば当然です。最近こんな経験をしたときに気になったのは、なんて難しいんだろう、ということより、なぜ理解できないのだろうか、ということでした。
ただがむしゃらにやるより、理解するとはどういうことかを知ってからやった方が早いのではないか、という気がしたわけです。
前にもそう思って、漢和辞典で理解の”解”という字の意味を調べたことがありました。そこには牛を刀でさばいたことに由来する、とありました。牛を構成する組織を自分の目で確かめることが解ることにつながる、ということのようです。とは言っても、物事を理解するためにいちいちバラバラにするわけには行きません。
そこで誰かがバラバラにしたときのことやかつて自分がバラバラにしたときのことなどを思い出してイメージし理解につなげるわけです。しかも、理解すると言うことは、すでに知っている牛の外観と骨とか肉とか内臓というイメージをつなぐことだということが解ります。これば別の言い方をすれば、つながることや関連性をイメージできないと理解できない、ことになります。
理解すると言うことは、すでに知っているイメージ同志をつないで新しいイメージを作り出すこと、と言えそうです。これは脳の中で、イメージを蓄えている神経細胞同志を神経伝達物質でつなぐための経路をつくることではないか、しかも快感を伴いながら、と想像できます。
日本人の海外旅行は忙しく、有名どころを競うように走り回る、と言われてきました。これはそれまでにテレビや雑誌などでできあがったイメージを、自分の目で確かめるためだとされています。つまり旅行によって、かつてのイメージと自分の体験をつなぐわけです。これでもつながることにはなるため、なんらかの快感が伴うのは当然だろうと思います。
しかし困ることもあります。イメージと体験が表面的にでもつながることで解ったような気がしてしまうからです。イラク戦争が始まったとき、ニュースに関わる人は競って中東に出かけた経験を口にしながら自説を訴えていました。私はそのとき、一度でも現地に行ったことがあると、解ったような気がするから恐ろしい、と思ったものです。現時に出かけたある人は危険だと語り、またある人は安全だと語っていました。
イメージとイメージ、あるいはイメージと体験をつないで理解しようとするときに、そこに誤った記憶によって作られたイメージが含まれていると、理解ではなく、誤解となってしまうようです。
さて初めに戻りますが、新しいことに挑戦しようとすると、たいてい新しい用語に出会います。しかもそれらは複数です。理解すると言うことは、それぞれの用語に対するイメージをつくり上げて記憶し、それらをつなぎ関連づけることです。
そこで私はそれぞれの用語に対する理解(イメージ)が忘れ去らないようにするため、まず繰り返し記憶を試み短期記憶から長期記憶へと移行させました。つぎに、徐々にイメージ同志の関連性を知る(つなく)ことにしました。
この手法はかなりのところで応用が効くように思います。ぜひ試してみてください。
-2005/6/24
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