同じ意味の諺が日本にも多くあります。日本でも海外でも今でも昔でも人のものはよく見えていたようです。諺の意味を調べてみると”他人のものがよく見えることのたとえ”としか書いておらず、なぜそう見えるのかについては触れていません。そこで、そう見える理由を考えてみることにしたのがこのコラムです。
- 外から見ると青く見えるように植えている
底上げした器にのせた料理があった場合、真実を知っている人は作った人、真実を知ることになるのはこれから食べる人です。隣の席から見ると立派に見えますが真実を知りません。これは見栄を重んじる文化が育つところに多く存在することになります。
- 日頃の不満を正当化するため
「自分が幸せではないのは隣よりいろいろな面で劣っているからだ。」ということがもし正解なら同情もしたくなります。不満を持っていても仕方がない。おそらく理解してくれる人もいると思います。しかし、正解では無い場合はちょっと困ったことになります。どうも誰からも愛されていないと感じようになると、こういう考え方になるように思います。
- 競争に誘う罠
中には隣の芝を青いと感じてそれが我慢できずに頑張って自分の庭の芝も青くする人もいるでしょう。これによって競争が起こり、その人はより多く活動するようになります。編者はこれを成長の過程に見られる現象と考えていますが、この罠を仕掛けている張本人は本能、あるいはそれを子孫に伝える遺伝子、もしかしたらそんな遺伝子を創った神様ということになります。
- その意味を知って喜ぶため
さすがにそのような例を多く見てくると隣の芝は青く見えるが必ずしも青い訳じゃないということを実感するようになります。もちろん本当に青い場合も良くあります。上に書いた競争の罠にはまって、もがきながらも何とか抜け出した人が味わう爽快感のためにわざと青く見えるように出来ているのかも知れません。つまり、ビールを美味しく戴くために夏は暑く、温かい鍋物を美味しく戴くために冬は寒いということに似ています。
ー2001/11/15
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