礼儀作法などあらゆることを子供に身につけさせることが躾だと言われています。その躾の厳しい家庭は親もきっと礼儀正しいのだろうと思います。編者から見るとずいぶん窮屈な家庭だという気がします。親にとっても子にとっても窮屈だという気がします。一体どこで力を抜くのだろうかと考えるからです。トイレやお風呂の中にしかくつろげる場所が無いのだとしたら家のなかのそれ以外の空間は一体誰のためにあるのでしょうか?
確かに礼儀作法を身についた人に会うと気持ちがいいものです。あいさつはきちんとしてくれるし、接客業などの場合にはとくに大事です。というより接客業であいさつが出来ないのはあなたをお客さんとは思いたくないと意思表示しているようなもので、もしその通りに思っているのなら構わないのですが、お客さんに来て欲しいと思っているのなら、素直にいらっしゃいませというべきでしょう。そうでなければお客さんは誤解し、その店が流行るとも思えません。
世の中で成功しようと思ったら反射的礼儀を身に付けるのが良いのだろうと思います。人に会うと反射的に挨拶をしてしまうように自分を変えることはそれほど難しいことではありません。武道の心得が多少でもある人なら自然に身につく技です。そしてその反射的な礼儀を身に付けた人たちは心情的な部分を抜いても挨拶が可能になることから、特に営業や接客業やあらゆる機会で好まれるタイプの人々です。
しかし人生に成功しようと思ったら心情的礼儀を身に付ける必要があるという気がします。これは気持ちに感謝がなければ出てこない礼儀です。挨拶にも無理がありません。しかし、感謝する気持ちを身につけることはむずかしいこころの技を身に付けることでもあり、そうしなさいと言われた次の日からすぐに出来るわけではありません。
家庭内を窮屈にすることが出来そうも無い編者は人から何かをやってもらってうれしいと感じたら、素直にお礼を言いなさいというぐらいにしか”しつけ”は出来そうにありません。
-2000/12/30
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