いじめる側はよくこんなことを言います。「いじめられる方も悪い」。それはこういっているようです。「私があなたをじめるのはあなたがいじめられるような態度をとっているからだ」。しかし、これは以下のような泥棒の論理を連想させます。
「私があなたのお金を盗んだのはあなたが金を持っているからだ」。女性を襲いたがる痴漢達はよくこんなことを言ったりします。「私があなたを襲ったのはあなたが人を挑発するような服装をしているからだ」。これについては最近調査が行われて、痴漢は相手の女性の服装に関係なく襲うという報告がされています。これは意外な調査結果でした。
いじめる方がいじめられる方も悪いと考えるのは自分が悪いことをしているということを認めたくないからでしょう。認めたら最後自分はいつかは地獄に堕ちることを認めることになります。それは薄々気がついているはずのことです。自分の行為を正当化しようとする詭弁(きべん)であるということを。
そんな自らの誤りを認めることはあまり気持ちが良いものではありません。しかし、過去を振り返って自らの愚かな行いに正面からぶつかって苦々しいと感じるのは自分自身が成長した証拠だと思います。苦々しいと感じながらもその苦々しさをより深き味わいだと感じるのはすべてに優先して自らの成長を喜ぶからではないかと思います。
しかし、いじめは無くなりません。一人一人は成長していじめを卒業しても、次から次に新たにゼロから出発する子供達が生まれてくるからです。
世の中のいじめは無くならなくても、少なくとも自分自身からいじめを遠ざけることは可能だろうと思います。
自分はよくいじめる側より、いじめられる側の方が安心だと考えています。しかし、もちろんいじめられたままで一生を終わっても良いと考えているわけではありません。いじめる側はこちらが手を下すことはなくても地獄に堕ちると考えているからです。
これは別にその人に雷が落ちて即死するとか、交通事故に遭うとかそういう楽な死に方をするとは考えてはいません。なぜいじめるのかと言えばそれはいじめられる人の気持ちを理解する能力に欠けているからです。いじめられる側は嫌でもそれを知ることになります。
全く関係の無いことのようにおもうかもしれませんが、人生を味わうことと料理を味わうことは非常によく似ているように思います。子供の頃は甘い物が大好きでした。ビールなんぞはどこが旨いのかと理解が出来ません。魚は骨ばかりで嫌いだと考えました。野菜もものたりなくて面白くない。
もしいじめられて苦しんでいるとしたら、欲しい甘い物を食べさせられずに、子供の頃から嫌いな魚や野菜ばかり食べていることになります。
どちらが最終的に長持ちするかはもう書きません。まるで、いじめっ子をいじめているようで、自分こそは地獄に堕ちるのではないかという嫌な予感がしてきたからです。
-2001/10/23