原始時代でも今でも、おそらく熱心な親に時間と能力があれば自分の子供や近所の子供たちを集めて自ら教えはじめるでしょう。ところが大抵の親が持っているのは熱心さくらいのものです。幸い学校が存在する現在なら子供を学校に預けることができます。
すでに学校が存在する今の世の中にはおかしな考え方が存在します。「そこに学校があるから行かなければならない。」 それは「そこにコンビニが出来たからそこで買わねばならない。」という考え方と同じでずい分窮屈な話です。窮屈に感じるのはだれのために学校があるのか解らなくなるからだと思います。
それでも各地域に存在する小中学校は効率よく教育を行なうためによく考えられた施設だと思います。先生は教師という職業を得、親は子育てから数時間解放されます。
学校とは朝出掛けていってお昼を食べて夕方くらいに帰ってくるところだからその間は先生が親代わりになることになります。それがあまりに大変に思えたから編者は初めから先生になろうとはしませんでした。子供が好きでなければ勤まらない職業だと思ったからです。
ところが人が親という免許もとらずに親になって子育てに戸惑うように、先生だって教員免許は持っていてもうまく行くとは限りません。先生になってから先生とは何かを自分に問うものではないかと思います。
学校は期間限定の家庭だから、先生は本当の親にはなれなくても親と同じく子供たちの成長してゆく姿をみることができます。その成長の度合いが大きければ大きいほど自らの成長をそこに映して感じ取ることができます。それゆえに先生は辞められない。それゆえに学校は存在するということでしょうか
-2001/7/3