少年犯罪やイジメなどが話題に上ると、道徳教育をきちんとやるべきだとか、あるいはボランティアを体験させるべきだという議論が出てきます。荒れる少年達が増えているのなら困りものですが、だからと言って道徳教育やボランティアの話も素直に賛成できないうさん臭さを感じます。
小学校や中学校で実際に自分が受けた道徳の授業も、教えていただいた先生には申し訳ないのですが、変な授業でした。最近になってそうした奇妙な授業になってしまう理由が分かったような気がします。
道徳という名の独立した授業は日本をはじめアジア諸国に見られるようです。たとえば、仏教国タイでは道徳の授業を通じて、お釈迦様の教えを説き、感謝の気持ちを持つことの大事さをおしえているようです。
一方共産国の中国でも道徳の授業があり、その内容は共産主義建設に尽力した人々がいかに尊敬に値するかを教え、祖国に対する誇りと愛国心を露骨なまでに教えています。授業内容を伝える放送大学のビデオを見ながら、やりすぎではないかと思ったほどです。ところが中国当局は意外にもクールで、この授業の内容をこころの奥のどこかにとどめていてくれれば良いと、その程度の効果しか期待していないようです。
日本やタイ、中国などでは独立した道徳の授業が存在するのですが、アメリカやカナダでは全教科のなかで道徳教育を進めようという考え方で、特に独立した授業は無いようです。アメリカもカナダも多民族国家であるため、たとえば数学の授業で(他民族が)協力して解答を導き出すという手順を実際に体験して学んでいます。
各国の道徳の授業の進め方から分かることは、道徳という授業はその国のあり方(政治体制)を肯定的にとらえてもらうための教育と言えるようです。もちろん、仏教国のタイにもキリスト教徒はいるだろうし、中国でも共産主義に賛成できない人もいるはずです。それにも拘わらず先生はその国のあり方を肯定する道徳の授業をやる必要があるのです。
日本には日本教職員組合という先生方が所属する労働組合があります。ご存じの方も多いと思いますが、この組合の目指す社会は社会主義社会だそうです。日本は資本主義社会であるため、その日本の政治体制を肯定的にとらえてもらうための道徳教育には反対せざるを得ないことになります。
昭和33年から始まったとされる道徳の授業は、不幸にも教えたくない先生が仕方なくやっている授業も存在したことになります。小学校や中学校のときにはそうした労働組合とか道徳教育の目的についての事情は知らされないわけで、ただ”好きになれない変な授業”という印象を持っている人がいても何の不思議もないことになります。
少年犯罪やイジメなどの様々な問題を少しでも減らすことが国民と国の意志であるのなら、道徳の授業をライフスキル教育に変えてしまうのも一つの方法です。個人の生き方を支援するライフスキル教育に力を入れている国が日本だということになれば、日本という国に生まれたことを誇りに思うことも出来るわけで、これなら国と個人の利害が一致するため無理がありません。ライフスキルなら、左翼とか右翼とか思想上の問題もなく、一部の先生方にも抵抗が無いはずです。
一人の人間として生きてゆく上で役に立つことだけは間違いないと思われるライフスキルですが、最大の問題はその授業はおもしろいのだろうかということです。”日常生活の中で健康的な選択をするための能力”とも言われるライフスキルです。
たばこを吸わない選択をする能力、日頃から適度な運動をすることを選択できる能力、美味しい物を目の前にしても腹八分目でやめられる能力、もう一杯と伸ばしたい手を伸ばさない能力・・・などなど。つらそうな授業です。
ライフスキルにはストレスに対処する能力も含まれます。従って、頑張ってライフスキルを身につけなければと思って”ストレス”をためてしまうと、本末転倒になります。
ライフスキルはさまざまな方法が示されているようです。そのなかから自分で納得のゆくものだけを選んで、ためしにやってみることが出来る能力がライフスキルを身につけるための”スキル”かも知れません。
-2002/7/23
■参考文献・資料
- 放送大学 特別講義
ライフスキル
担当講師:皆川 興栄(新潟大学教授)
- 放送大学講義 道徳教育(’99)
第10回 多文化社会と道徳教育
担当講師:大西 文行(横浜市立大学教授)
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