犯罪心理学の本を読んでいたら、こんな意味のことを書いていました。「犯罪は誰か特別の人が犯すのではなく、誰でも条件さえそろえば犯罪に手を染めてしまう」。これが、犯罪についての研究者が出した結論です。
一方、犯罪はあっても犯罪心理学のなかった昔、「善人なおもて往生すいわんや悪人おや」の『悪人正機説』で有名な親鸞という名の偉いお坊さんも、悪人が悪を行い善人が善を行うわけではなく、それらはすべて業縁による、という意味のことを話しています。これも、条件や環境またはシステムさえそろえば、誰でも罪を犯すという意味だろう、と解釈しています。
犯罪が繰り返されている現実を見ていると、犯罪が無くならないのは、軌道修正のためなんだろう、という気がしてきます。別の言い方をすると、より大きな犯罪を回避するための警告、フィードバックです。
交通事故があると、そこに信号や道路標識が設置されたりします。なぜ事故が起こる前に標識やミラーをつけておかなかったんだ、と指摘されたりしますが、実際に事故がなければ、誰も耳を貸そうとはしないのが現実です。
より大きな犯罪を回避するために、犯罪が無くならない、とすれば、最近の犯罪はどう見ればよいのでしょうか?マンションなどの違法建築についての報道が連日続いてますが、この事件は何を我々に教えようとしているのでしょうか?
この事件にも、検査機関への『
天下り』が登場しました。これはもちろん、天下りという再就職そのものが問題なのではなく、ミスマッチが問題なんだろうと思います。通常、欲しい人材が見つからないと雇用には至りませんが、天下りの場合、仕事が出来なくてもその立場を利用して再就職ができるようです。
しかし、まっとうな仕事が出来なければ、悪に手を染めるしか自分の存在意義を示すことができません。これは昔から指摘されていることですが、誰も得をしない、しかも犯罪を誘発するシステムです。
-2005/12/4
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