黄河文明以来の長い歴史を持ち、しかも多くの優れた人物を産んだ、現在中国と呼ばれる国についての印象は、個人的にはすこぶる良好で敬意さえ払っていた時期もありましたが、残念ながら最近の、特に終戦以降の動きを知るにつれそのイメージは劣化し、印象が180度変わってしまいました。
日本に文明を伝え学ぶべき国だったはずの中国は、今では図体がでかいだけで臆病で、何かというと人を恐喝するろくでなしの国に見えてしまいます。それは自国の学生らを戦車でひき殺した天安門事件や、チベット民族への迫害、小さな台湾に対しては、これでもかというくらいにミサイルを並べて威嚇、台湾の総統選挙に対しても、みっともないくらいに注文を付けていることなどを、知るようになってきたからです。
日中間では靖国神社参拝問題とか尖閣諸島の領有をめぐる問題などがあるわけですが、台湾やチベットの問題に比べると些細な出来事に見えてきます。中国はなぜみっともない国に成り下がったしまったのでしょうか?
とはいっても、たとえば北朝鮮の異常振りが、実は1950年の朝鮮戦争がまだ続いているからだと説明されれば納得せざるを得ないように、中国でも清朝が倒れて以降の内戦が今でも続いているのだと説明されれば、そうかも知れない、という気がしてきます。
しかし中国の混乱振りが内戦のせいだとすると、その内戦はもう百年近くも続いていることになります。
1911年、中国で辛亥革命がおきて清朝が滅び、翌年の1912年(大正元年)に中華民国が建国され、この後孫文(1866-1925)が国民党を結成、この後蒋介石(しょうかいせき 1887-1975)が党を引き継ぎますが、この頃もう一方の勢力となる共産化の波が中国にも及んでいました。
1921年には中国共産党が創立され、1931年には毛沢東(1893-1976)らによって中華ソビエト共和国臨時政府が樹立され、1936年には蒋介石率いる国民党軍とのあいだで内乱が本格化します。毛沢東の二番目の妻は1927年に国民党軍によって殺されたとも言われ、両者は憎しみ合っていたようです。
それでも日中戦争の間は協力して日本軍と闘わざるを得ませんでしたが、第二次大戦が終わって日本軍が去った後は内戦が再開され、毛沢東の共産党が勝利して1949年には現在の中華人民共和国が建国されます。一方国民党の蒋介石は台湾に逃れます。
それから約半世紀が過ぎた2004年の台湾では、国民党で大陸出身の連氏が中国との安定維持を主張、一方与党で台湾出身の陳氏は台湾独立を主張してそれぞれ台湾総統選で争いました。結果は陳氏への銃撃が微妙に影響したのか、陳氏が再選されたようです。
なぜ大陸出身で国民党の連氏は中国との安定を求め、台湾出身で民進党の陳氏は独立をもとめているのでしょうか?
台湾が独立を主張したのは過去にもあったようです。日清戦争が終わった後の1895年に台湾は清朝からの独立を宣言していますが、そのすぐ後に日本軍に占領され独立運動は鎮圧され、乃木
中将が台湾総督に就任、1903年には台湾島民は日本国民に編入されてしまいました。
台湾はもともと中国の一部だったのかというとそうでもないようです。
台湾が中国(清朝)の一部にされたのは1683年で、そのきっかけは、1622年に清朝との戦いに破れた明朝の鄭成功(ていせいこう)が台湾へ逃げ、その鄭成功が1683年に亡くなったことで、台湾は清朝に組み込まれています。
1622年の明朝にしても、それから三百年以上後の1949年の中国国民党にしても、台湾に逃げ込み大陸での復権のための拠点にしたことは共通しています。これは大陸の中国側からすると、台湾を独立国にしていたらそこに逃げ込まれて危なくて仕方がないため、何としても中国に取り込んでしまいたいところです。
しかし、中国は台湾の存在を云々する前に、今の時代に共産党一党だけで支配されていること自体が不自然で、いずれ中国は内部から体制を変えざるを得なくなるはずです。従って、中国が目の敵にすべき相手は台湾などではなく、いまどき一党のみで国を治められると考える傲慢さそのものです。
-2004/3/21
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