この時期になると、戦争反対のアピールを聞く機会が増えるわけですが、いつも感じるのはそのアピールの持つ弱々しさです。なぜ弱々しいと感じるのでしょうか?
前後して聞こえてくるものに、戦争体験者の話があります。この体験談は貴重だと思います。というのは、映像では伝わってこない、たとえば空爆でやられる側のイラク住民の姿が見えてくるように思うからです。太平洋戦争当時に比べると、米軍が使う爆弾は強力になっているようですから、イラクのように空爆に襲われたら逃げる暇さえ、そして傷の痛みを感じる暇もなく命を落としていくのかも知れません。
戦争体験者らが自らの嫌な体験をわざわざ思い出してでも語り継ごうと試みるのは、当時傍らで命を落としていった友人らを無駄死にさせたくない、からだそうです。
広島や長崎で毎年繰り返されるアピールは、病気を持った患者が健康の重大さをアピールするようなものだと思うのですが、それにしては人々を健康体にするために必要な”医師”が育っていないように感じられるのです。これはどうしてなのでしょうか?
戦争を防ぐためには以下のステップが必要なのだろう、と思います。
- 戦争体験者が体験を語る
- それを聞いた非体験者が戦争を防ぐ方法を実施する
上のステップは病院で医師が患者を診断し、治療するのに似ています。ここで患者が医師をかねるのは荷が重すぎると思います。
戦争で強烈な体験を持っている人はその経験が邪魔になって、戦争を防ぐために必要な海外との折衝は無理なのかも知れません。思いばかりが先走って冷静な判断ができないように思うからです。
一方戦争体験の無い世代は、冷静に考える力は持っていますが、戦争の悲惨さが解らず、戦争を防ごうという動機が生まれません。
そこで体験者らから話を聞くことが大事になるわけですが、聞いても参考にならない、と思うのは戦争を防ぐ方法についての考え方です。それは患者に病気の治療法を聞くようなものだと思うからです。
従って、戦争体験者らが戦後作り出した日本の世論を非体験者が丸飲みするのは危険だと思います。彼らの中には、戦争反対と叫ぶばかりで、そのための具体案を持たない人が結構いるからです。
それでも仕方が無いのかも知れません。なぜなら、戦争反対を叫んだ途端に記憶がよみがえり、胸がいっぱいになって、考える力を失ってしまうのかも知れない、と思うからです。
しかし、そうした経験の無い世代が、もし戦争反対と叫んだ後、戦争を防ぐための具体的な方法について語ろうとしないなら、その人にとっての戦争反対運動は、合唱によるストレス解消か、あるいは出会いの場なのかも知れません。
-2003/8/13
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