米バージニア工科大学で32名を銃殺した犯人は、イジメられて恨みを溜めていたらしいこと。そしてその仕返しのために今回の事件を起こしたらしいこと。さらにそれを世間に示すために、マスコミにビデオを送ったこと、そして仕返しが終わり自分の用が済んだとして自殺したらしいことなどがわかってきました。
アメリカでも銃の規制がされていればこんな事件は起きなかったのかもしれませんが、それでもアメリカには、「いざというときのために銃は必要だ」 と考える人が多いようです。この「いざというとき」、とはどんなときなんでしょうか?
目上の人を大事にし礼を尽くすべきだ、とする儒教の考え方は論語で有名な「孔子」から始まっていますが、誤解されている面もあるようです。このことは上司や目上の人に盲従せよ、という意味ではありません。いつの時代にもセクハラやパワハラ、あるいは皆を裏切るような背任行為に及ぶ人がいるため、そのときには、そんな上役のためにも、その誤りを指摘すべきだとしています。
さらにかつての中国では、不埒(ふらち)な王を引き摺り下ろし入れ替わることを正当化する言葉として「革命」が使われていたようです。革命が今の意味になったのは、日本で「revolution」の訳語に当てて以来のことらしく、今では中国でもこの訳語を導入しているそうです。
とにかくどう考えても理不尽だと思えるときや、危機が迫ったときなどには、わが身を自分で守るために、その状況をひっくり返す手段を常に用意しておく必要がる、ということのようです。その論理的な根拠としてかつての中国には「革命」という言葉があり、そしておそらく現在のアメリカには「銃」がある、ということだと思います。
現状にほぼ満足している人は現状維持を望み、不満を持っている人は変わることを望み、さらに現状に限りなく絶望している人は、この社会がひっくり返ることを望むでしょう。
現状に満足している人とそうでない人では、今回の銃乱射事件に対する思いが180度違うのではないか、という気がします。高い給料をもらい安定した地位にある人が、「なんて馬鹿なことをするんだ」というのを聞くと、”この人は自分の立場でしかモノを言えない人”、と考えてしまいます。
弱い立場や貧しい人たちが個人または団体で暴動を起こさないようにするために、あのイラクのフセイン大統領でさえ、イラク南部に公共住宅を建設して配慮をしていたし、「銀のスプーンをくわえてうまれてくる」、とたとえられる高貴な貴族の人たちも、貧しい人に施しをするのは常識となっています。
高い地位にある人や今どきの「勝ち組」に再分配への配慮が求められるのは、道徳とか倫理とか、そんなよくわからない高貴な目的のためというより、「仕返し」や「革命」を未然に防ぎ、自らの身を守るためなんだと思います。
-2007/4/22
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