容疑者の父親が息子を見放しているということが分かったとき、「親に見放されたらおしまいだ。」と、ふとつぶやいてしまいました。その後の報道や専門家の意見を耳にするうちに彼の行為は親や元妻への仕返しであったのだろうと感じています。
仕返しによって自分自身が向上することはまず有り得ないため地獄への道連れにしようとしているのでしょう。どうして彼はそんな人になってしまったのでしょうか?精神科医は根本的な原因は”愛情飢餓”だと話していました。
彼は平気で嘘をつく人々のなかの一人のようですが、その嘘を意識的についているようです。これは人をだますことであると同時に、明らかな自己否定でもあり、自分自身のありようをもてあましているのではないかと考えます。したがってそんな自分を好きにもなれず、人にたいして愛情を配ることもできません。それは人からも愛情を得られないことを意味します。
どんな出来の悪い子供でも親だけは理解をしようと必死になるものですが、彼はそれさえも得られませんでした。彼は責任能力のある精神障害ではないかと報道されています。責任能力があれば裁判の後におそらく死刑になることが予想されます。
彼が死刑になるのは心情的には当然だと思うのですが、精神障害とは精神分裂病を含むあらゆる精神異常の総称です。責任能力のある精神異常というのは一体何なのでしょうか?
これから先は編者の推測ですが、人は何らかの不運に見舞われたとき、それをどう捕らえるかによって二種類のタイプに分かれると思います。
自分に降りかかった不運は他人や社会の所為だと考えて人や社会を怨むタイプと、自分の非を認めて同じ過ちを繰り返さないように自らを向上させようと動き出すタイプです。
人のせいにする方が楽な考え方ですが、この思考的な怠惰もやはり後でつけが回ってきます。その回ってきたつけの原因もまた他人や社会のせいにするという考え方を繰り返していくうちに”異常”と呼ばれるようになるのではないかという気がしています。
そして愛情飢餓の状態にある人というのは人の命の重さを理解できないのではないかという気がします。それは人が生きて行くことの意味というのは愛情を感じ取ることによって生まれるのではないかと思うからですが、どうでしょうか?
-2001/6/13