イラクで武装グループに拘束された人質の家族が「自衛隊を撤退させろ」と政府に迫ったとき、”この家族は人にものを頼むときの礼儀を知らないらしい”と思ったものです。そして、家族らが人質救出より日頃の主張の方を優先しているようにも見えました。それから人質やその家族への批判は予想を越えるものでした。あまりのすごさに、もしかしたら批判する理由は他にもあるのではないか、という気がしてきました。
そこで、人はどんなときに相手を攻撃するのか、について整理してみることにしました。
1)破壊衝動による攻撃
人を苦しめたりモノを壊したりすることに快楽を覚えるタイプの攻撃で、ユダヤ人数百万を殺戮したヒトラーや自国民を2000万人も粛正(殺人)したスターリンにみられる攻撃です。原因は幼い頃に受けた暴力だとされています。自己に向かうべき破壊衝動が、生きたいという欲求と妥協して他人への攻撃に向かうケースです。イラクで言うならフセインにみられるケースです。さすがに今回の人質批判とは関係ない、と思われます。
2)ある目的のための攻撃
なんらかのねらいがあって攻撃するケースです。危険だからと、何度も退避勧告したにもかからずそれを無視してイラクに入ったために武装グループにつかまり、救出のために政府は大いに迷惑した。国の言うことをきかなかった彼らには制裁の意味を込め金銭的にも一部負担してもらう、というのが政府の考えのようです。”そう言われればそうかも知れない”、という気もしますが、本当の狙いは自己防衛にあるように思います。
自分たちの住処によそ者が侵入したとき、その侵入者を追い出すために行う攻撃です。これは動物にみられる行動ですが、なわばり争いはもちろん人間にもみられます。しかもこのなわばりが住処という物理的なスペースだけを指すとは限りません。イラクへの人道支援という役割も、人によっては職域という名の守るべき領域です。
すでに伝えられているように、NGOはこの役割の一部を国や国連から奪いつつあります。NGOには、どんな物資がどれだけ必要なのかリアルタイムで知ることができるシステムができあがっているようです。パスワードさえあれば政界中どこからでもアクセスできる優れものです。NGOに研修に行ったことがある外務省の職員なら、このシステムの「すごさ」を知っているかも知れません。
政府主導の自衛隊によるイラク支援は給水や施設の修復など、もちろん役に立っているとは思いますが、現実的には国や国連の規則に縛られないNGOの方が貢献度は大きいとされています。 イラクへの支援というなわばり(役割)を、政府はNGOにもってゆかれているわけですが、米国などではもう、このなわばりを巡って争っている段階ではなく、棲み分けが進んでいるようです。
もう一つ指摘されているなわばり争いは危険地域からの報道という”役割”です。一時期、メインバンクの行員の平均年収が1200万もあるらしい、というニュースが流れて高すぎると批判されたことがありましたが、テレビ局や新聞社の社員の年収はその銀行員を上回っています。べつに誰がいくらもらおうが問題はないのですが、危険を承知でイラクへ向かうフリージャーナリストより収入があるのは明らかです。
記者根性というのは本能的に現場に向かいたいと思うもの
らしいのですが、そのためには、せっかく就職したマスコミ業界を飛び出し不安定なフリーになるしかありません。家族もいるし命も惜しいし、老後の年金も心配などなどで、記者魂がムラムラと沸いてこないように抑圧している人もいるはずです。しかし、これも人それぞれの選択でどれが優れている、とは言えません。
3)八つ当たり的攻撃と隠れた心理
欲求不満をエネルギー源として他人を攻撃するケースです。日頃の不満を爆発させたいときに、攻撃しやすい相手を見つけ、その人を集中的に攻撃します。こうした攻撃が、今回の人質らに対してもあったとは思います。しかし、この種の八つ当たりは昔からあったように思います。
しかし今回は、出る杭を打ちたくなる妬みがあったような気がします。かつての日本では金持ちが妬まれました。なぜなら皆が貧乏だったからです。世界から見れば十分リッチになった今の日本人にとっての密かな憧れは、自らの信念のために貧乏を恐れない生き方を貫くことです。そういう意味で、先進的な人質らを許せなかったのかも知れません。
-2004/5/4
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