難関の公務員試験に合格しても、それぞれの役所に配属されればただの新人です。そんな新人たちのドキュメンタリーが最近フジテレビで放送されました。それを見て感じたのは、彼らおよび彼女たちは実に優秀であり、しかも頑張っている、ということです。
しかし、その新人官僚自身も認めているように、昔の官僚はすごかったのかも知れませんが、今の官僚はそれほどでもない、ようなのです。それどころか、ろくな話は聞きません。
公団内部で改革を進めようとしていた人たちを冷たく扱い地方に配置転換したとか、赤字であることが分かってしまう財務諸表があったのに無かったとウソをついたと批判されている日本道路公団の総裁は、旧建設省から道路公団に再就職(天下り)して、公団のトップに当たる総裁になった元官僚だとされています。
同じ官僚でも、新人とOBの、この落差は一体何なのでしょうか?
前者は優秀でありながら謙虚、後者は無能でありながら傲慢(ごうまん)、という印象があるためだろうと思います。つまり、官僚のOBにあたる公団の総裁は、仕事ができない人、に見えるということです。きちんと仕事をやってくれているのなら、批判するどころか応援するはずだからです。
なぜこのように不名誉な状況に陥ってしまったのでしょうか?
官僚を試験によって選抜して採用する制度は中国で始まったそうです。コネでは優秀な人は集まらないし、任官を願い努力を続ける優秀な人々を広く継続的に採用するために、血縁によらない、選抜方法が現在の試験制度です。これは今でも必要だろうと、思います。
ところが、選ばれた人たちは当然自分が他者より優れていることを意識する、つまり優越感という感情を味わうことになるはずです。この点は実に健康的なこころの動きだと思いますが、問題なのは、優越感は本人だけが持っている感情であって、簡単に劣等感に変わってしまうことや、優越感コンプレックスを生むらしいということです。
中央の時代から地方の時代に移ってゆく中で、長年中央で官僚をやっていれば、存在意義を疑われるような体験をするはずです。その耐え難い体験が中核となって無意識の領域に抑圧されれば、コンプレックスという複雑感情を形成しても不思議ではありません。
一度コンプレックスが形成されると、自分の意志でコントロールすることができなくなります。住んでもいないある地方のバス停の位置について、中央の役所が認可するという、小学生にでも理解できるような無駄な仕事を、疑いも持たずにやってきたとすれば、その無意味さをいつかは指摘されることになります。そのとき不快感に色づけられた反応を示したことがあるかも知れません。
不快感に色づけられた反応とは、なかなか片づかない仕事、意味をなさない仕事、さらには一般の国民には理解しがたい非常識な反応、のことを指すようです。
このコンプレックスについての解釈はユングが指摘したコンプレックスを官僚の行動に当てはめたものです。人間の一般的な傾向なので、現在官僚を批判している人でも、その官僚になれば同じ事をやってしまう可能性があります。
能力がありながら、それが活かされなくなる理由が優越感コンプレックスだとすれば、官僚の名誉を取り戻すために必要なことは、コンプレックスを解消することです。このコンプレックスを解消するために有効だとされている手法の一つに自己分析があります。
夢や幼児体験を含め、官僚時代の自分の体験を振り返りながら自己分析をすれば、他者が指摘していることの意味が理解できるようになり、さらには自分自身を取り戻すことができるようになるかも知れません。しかしよく考えてみると、この自己分析を試みようとする姿勢は新人官僚が持っている”謙虚さ”そのものです。
-2003/8/9
●当サイトは全ページリンク・フリーです。連絡も要りません。
Copyright(C) 2000-2006 xSUNx(サン) all rights reserved.