つい最近、ながらでつけていたテレビでフリーターの是非論について語る討論会がいつの間にか始まっていました。その論客のなかにはフリーターという言葉を作った創始者も含まれていて、結構真剣な内容であったことは確かです。
フリーター反対派の人はフリーターの社会的評価、給与が低いことなどをデータで示していました。そのデータが事実であることはたしかです。ただ、こうした主張はフリーター自身がその先、困ることになると言っているようにみえてなんとなく従来の固定概念にとらわれているように感じたのも確かです。これまでの価値観からすると間違ってはいないように聞こえました。
フリーターと言っても三種類のタイプがあると思います。
- なりたくてフリーターになった人
初めから自由な時間が欲しかった人だと思います。たしかに自由な時間がとれることが最大のメリットですが、経済的に親に頼っているのであれば、親がいなくなったとき不自由さだけが残るのがリスクだと言えます。
- やりたいことが見つからないためにフリーターになった人
走る前に考える人でしょうか、自分に向いている仕事を探している間に歳をとってしまうのが一番のリスクになりそうです。やってみたら結構面白い仕事もあったりします。
- 別にやりたいことがあるためにフリーターになった人
役者になりたいから自由な時間がとれるフリーターになったという人もいます。このタイプの人たちは昔からいるのでフリーターと呼ぶべきではないという気がします。初めからリスクを承知している人たちだと考えます。
編者はフリーターとは自分にゆっくりとした時間を与えて種を蒔く人だと考えています。将来の成功を夢見て活動を続けている人は目に見えて種を蒔く人であり、具体的に動き出さず、自分でも意識していない人でさえ、実は自分はどうしたら良いのかと迷いながら種を蒔いていることもあると思います。自分自身で考えること自体が種をまくことだと考える人はあまりいないかも知れません。しかし、それを続けることでいつかは気がつくことがあるはずです。
・・・と書いてきたことは編者の意見です。大事なことは編者の意見を鵜呑みにすることではなく、貴方自身が自分で考え、自分の意見を持つことだと思います。
では!
-2001/5/21