たとえ自分の思い通りにならないことがあっても、人を蹴ってはいけないと言うことを最近のニュースは教えてくれる。「人を蹴ってはいけないが、何の罪もないボールを蹴ることは許される。いやそれどころか賞賛に値する。」
物を投げたり、蹴ったりできるのは人間に与えられた能力の一つであるためか、様々な場面で人間らしさがこぼれ出る。花嫁は幸せを分けようとしてブーケを投げる。桟橋では出てゆく船に向かい、別れを惜しんで紙テープを投げる。ステージでは感激した観客が役者に向かっておひねりを投げる。
マリリン・モンローは色気が余ってキッスを投げた。日本人は毎年初詣に出かけてはお賽銭を投げる。
小さなボールから大きなボールまで投げては楽しむ球技というスポーツが存在する。何かを投げることで素直に感情表現ができない場合でもスポーツやゲームという形をとれば投げるという人間的な行為を心ゆくまで繰り返すことができる。
ボールを投げられるのは人間が二足歩行を始めたために、前足ではなく手と呼ぶようになった部分の関節に自由度が生まれ、ひねりをいれることができるようになったためだと解剖学的な説明がされている。
サッカーではその自由になったはずの手を使うことは制限され、もっぱら蹴ることによってゲームを進める。ワールドカップが始まりFIFA(国際サッカー連盟)という言葉をよく聞くようになった。
FIFAのホームページで調べてみるとFIFAはFederation Internationale de Football Associationの略。footballだから蹴球(しゅうきゅう)、ラグビーやアメリカンフットボールも含まれるが特にサッカーのことを指すという。
蹴るという行為も投げると同じくらいに人間らしいという気がする。しかし、物を投げることはできない馬でも、蹴って自分の身を守ることはできる。蹴るという行為にはより動物的な本能が表現されているとも言える。
人間がスポーツ以外の場面で蹴りを入れるケースでは”怒り”という感情がついて回る。投げるという行為に比べると表現される感情は一部に限られる。怒りは相手を理解できずに行き場を失ったときに生じると考えることができる。
ゆき詰まればゆき詰まるほど何かを蹴りたいという欲求をもてあますことになる。サッカーがおもしろいのはただ怒りにまかせてボール蹴っている訳ではなく、さまざまな要素を計算に入れ、条件をそろえたところで蹴りたいという欲求を満たす。サッカーのおもしろさは、怒りを昇華して芸術に変える喜びなのかも知れない。
-2002/5/31
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