トップコラム・インデックス仕事とニュース
黙秘権はなぜ守られるのか?


 カレー鍋に毒を入れたのではないかと、殺人の罪に問われていた林被告に死刑の判決が出ました。被告は事件について何もしゃべらなかったため、調書もなく殺人の動機も解らないままです。

 ”黙秘されたら真相は解らない。真相が解らないままで公平な裁判ができるのか?”という疑問が沸くわけですが、”死刑”という一番重い判決を言い渡した裁判官にも被告の黙秘権を必死に守ろうとする姿勢がうかがえました。これはどういうことなのでしょうか?

 黙秘権は憲法の第38条で認められていて、被告にとって不利益な供述を強要されないようにするためにあると説明されています。

 気が弱いために、あるいは疲れ果ててしまい、自分に不利なことをついしゃべってしまえば、それが調書に残り、裁判で不利な証拠になる可能性があります。

 今回の判決では、消去法でゆくと犯人は林被告しか考えられない、という”状況”の積み重ねが根拠になっているようです。さらに被告は合計8件の罪に問われていて誰もが犯人であるに違いないと疑いたくなる、限りなく黒に近い人物です。

 死刑の判決が出たということは、林被告はきわめて危険な人物であり、日本国にとっては邪魔者であって、その生存は否定されるべきだ、と判断されたことになります。危険きわまりない人物だから刑務所から出てきて、また無差別殺人でもされたのではたまったもんじゃない。皆が安心して暮らせるようにするには”死刑”にするしかない、というのが判決の理由だと解釈できます。

 国という大きな組織が一人の人物を”嫌悪”すべき人物と定め、死刑によって遠ざけようとする裁判制度は国という生き物の本能的な行動であると考えることができます。本能にはさからえません。しかし、問題はその人物が本当に嫌悪されるべき人間なのかどうか、という点です。

 日本国民一人一人に与えられている黙秘権で何を守ろうとしているのでしょうか?

 物的証拠がない今回のような事件の場合、林被告が”私がやりました。”と自白すれば証拠として採用されるでしょう。特に誰もが疑う余地がないほど”黒”に近い被告の場合は”決定的”とも言える証拠にされてしまいます。しかし、仮に自白したとしても、そのときの心理状態を正確に知る人は誰もいません。

 判決は死刑ですが、黙秘権が尊重されていることには大きな意味があると思います。

 国という大きな組織に個人が生存をかけて対抗しようとするとき、その手段は非常に限られています。その国全体のためではなく、国を代表して個人を裁く一部の人々にとって邪魔な人物を”罪人”にしてしまうことがありうることは、残念ながらすぐそばの国々をみてもよく解ります。

 日本は憲法があるから大丈夫だ、と油断はできません。すぐそばの国々も”人民のために国がある”ことを主張しているからです。その国にとって邪魔な人物の生存を否定するという意味では、それらの国々と日本は同じだと言えます。しかし、その存在が否定され死刑の判決がでるような人にも、等しく黙秘権が与えられ、人権という、良くは分からないが大事らしいものを、尊重していることを必死で世に示している、ということだろうと思います。

ー2002/12/14


<データ>
日本国憲法 第38条(不利益供述の不強要、自白の証拠能力)
1)何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2)強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3)何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。




トップページに戻る
■当サイトは全ページリンク・フリーです。連絡も要りません。
copyright(C) 2000-2001 xSUNx(サン) All rights reserved