昔ならたいてい上司は年上で、年輩者に敬意を払うべきだという儒教的教えと、社内の組織が一致していたのですが、最近はちょっと事情が変わってきました。部下が年上であったり、上司が年下であったり、まるで下克上のような状況が身近になっています。
いくらリストラ全盛の時代とは言え、年上の部下をどなりつける人がいれば、その人の人間性が疑われます。会社の多くは厳しい状況にありますが、日本人としての価値観はそう簡単に変わるものではありません。
上司は上司としての仕事、つまりその職能をこなしている人であり、部下は部下としての職能をこなしている人で、いずれか一方が人間として優れているというわけでもありません。もし、そうなら年齢が低いだけで、あるいは後からその組織に加わっただけで人間として劣っているということになります。
その昔、孔子の教えが誤解されて、あるいは意識的に誤用されて、目上の人には絶対服従という考え方が刷り込まれた時代がありました。それはいまでも、年上の人に挨拶も出来ない若者を捕まえて、”道徳”教育を強化しようとしたり、ボランティアをはじめようという動きにつながっているように思えます。
孔子は目上の人であっても誤っていると思ったら正すべきだと教えています。絶対服従ではありません。福祉にお金がかかりすぎるために、その費用もこれ以上増やせないと考えたのか、ボランティアとかの精神論に頼ろうとする動きがあります。しかし、その試みは下心が丸見えで、説得力がありません。
人間性とか、その人がどんな人間かを見抜く力は上司であるとか部下であるとか、年齢が上であるとか下であるとか、関係のない話です。その人達がたとえ自分の親であっても、間違っていると思えば自分にできる範囲のあらゆる手段を使って反抗するでしょう。こう書くといかにも勇ましそうですが、実はそれほどでもありません。
年輩者や上司に対して納得していないのに話だけを合わせてその場を繕うことは良くあることです。しかしそれはもちろん相手に敬意を払っているからではなく、戦いに疲れている証拠とも言えます。自分が疲れない程度に、ささやかな抵抗を試みるのは実に人間的な行為だし、相手に敬意を払うことだと考えています。
-2002/7/16
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