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歎異抄(たんにしょう)で考える中東問題


 人間の行動の大部分が感情によって左右されているためか、思うように物事が進まないことが多いものです。それは一人一人の個人のレベルでもそうですが、中東におけるイスラエルとパレスチナの争いのような国際的な問題でも同じようです。第三者が入って、もうそろそろ争いをやめようと決めたのに、どうして逆に争いが激しくなるのでしょうか?

 イスラム教の開祖とされるムハマド(マホメット)の時代から、奪われたものを取り返したいという、生命維持のための自己防衛的な衝動が怒りという感情によって後押しされるとき、それでも悪人となることに耐えられない人々を、精神面で支えたのは思想だったのだろうと思います。

 それぞれの国や民族で異なる思想や宗教は建物で言えば土台となる基礎のようなもので、建物がぐらついたときほど足元の基礎が気になるものです。基礎の組み方によっては、小さな地震でも大きく建物を揺らすことが可能ですが、こうした建物は一般的に”不良物件”と呼ばれています。

 歎異抄(たんにしょう)は浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)の弟子、唯円(ゆいえん)が親鸞が亡くなってその教えが異なって説かれている現状を嘆いて、親鸞から直接言われたことをまとめたもの、とされています。

 師匠の言行を弟子がまとめたという意味では、孔子の弟子らが孔子が亡くなってからまとめたとされる論語に似ています。

 病気や老いや別れなど人生には苦労がつきものですが、これをさらにやっかいなものにしているのは、生命維持のために生まれつき備わっている感情に動かされ、本人の意思の及ばないところで争いに巻き込まれ、しかもその争いが絶えないことです。仏教の世界ではこのことを煩悩(ぼんのう)と呼んでいるのだろうと思います。

 歎異抄では釈迦の教えが、法然→親鸞→唯円を通して、わかりやすく説明されているように思います。その意味するところをくみ取りながら以下で中東問題について考えてみたいと思います。

 イスラエルとパレスチナの争いこそが煩悩のなせる技ということになりそうですが、この煩悩は釈迦のように悟りを開くか、死なない限り無くならないとされています。そうだとすれば、争いが無くなることは不可能に近い、という結論になります。

 ”悟りを開く”というのは生きたまま仏になることを意味するようです。釈迦がその人だったとされていますが、その釈迦は35歳で悟りを開いた後、80歳で入滅する(亡くなる)直前までの約45年間、人々に教えを説いて回ったとされています。定年で引退することもなく実にエネルギッシュです。

 ドイツの哲学者ハイデッガーを、歎異抄を通して唸らせたとされる親鸞でさえ煩悩から自由になれず、悟りも開けなかったと語っています。このことは、どんなに優れた学者になっても、あるいは指導者になっても 煩悩から自由になれない限り、争いごとに巻き込まれながら人生を送ることを意味しています。

 実際パレスチナ地域で起きている争いの原因を、歎異抄的に解釈してみると、イスラエルもパレスチナも自分たち(自力)でなんとかしようとしているからうまくゆかない、ということになるのだろうと思います。

 これは想像するに、高等動物に備わっているとされる、しっぺ返し的利他行動によって両者は動いているだけで、その争いはいずれか一方が敗者となって退場するまで終わることがありません。

 ほ乳類などの高等動物には他者のために働く利他行動やお互いに助け合う、互恵の行動がみられるとされていますが、助けてやったのにお返しをしてくれないような相手にはしっぺ返しをするという性質もまた遺伝的にもっているそうで、これを”しっぺ返し的利他行動”と呼ぶそうです。

、イスラエルもパレスチナのイスラム原理主義者も自分たちの意志で戦っているように見えながら、生き物であるがゆえの性質、つまり煩悩に操られている、ということだろうと思います。

 こうした煩悩からいくばくかでも自由になるために、親鸞が開いた浄土真宗では、”南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”と念仏を唱え、阿弥陀仏にお任せすること(他力本願)を説いているのだろうと解釈しました。

 もちろん、イスラエルもイスラム原理主義者らも阿弥陀仏を知らないだろうと思いますので、もう少し共通の価値に置き換えるとどういうことになるのでしょうか?

 イスラエルのユダヤ教徒にとっても、パレスチナ自治区のイスラム原理主義者らにとっても、阿弥陀仏に相当する存在は”唯一神”なのだろうと思います。非力な人間にくらべると絶対的な力をもっていると考えられているが唯一神です。

 ユダヤ教もイスラム教も同じ神を信仰の対象としているはずなのに、どうして戦いを続けるのでしょうか?

 おそらく、自分たちにとって都合が良いように神や仏を解釈し利用しているためだろうと思います。ところが、その考えが及ばないために、逆に災いばかりがやってくる、というわけです。

 中東の人たちに限らず、そうなりがちな大部分の人間たちに対して、歎異抄は謙虚さが必要であることを説いているのかも知れません。


 -2003/6/15(日)


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