昔は言霊(ことだま)と言って言葉に魂が宿ると信じられていたそうです。今は科学が発達したから信じる人はいなくなったのでしょうか?編者は今でも言葉には魂が宿っているという気がします。
口から発せられる言葉は空気を振るわせて相手の耳に届きます。文字になった言葉は紙の上やディスプレイ上に描かれ、光の濃淡になって視覚情報として脳裏に刻まれます。したがって、霊魂が物質だとすればそうした物質が介在することは無く、言葉自体の意味に魂が宿っているのではないかと考えます。
魂というのは心という意味でもあり、それもただの心ではなくかなり奥深い部分のこころです。普段は人間の矛盾を抱えて奥の方にしまわれていて、理性という名の壁によって仕切られているものだと思います。矛盾していたとしてもその魂は醜いものだけとは限りません。
不用意に、あるいは口が滑ったときには相手にとって不快な言葉が発せられます。それもかなり相手を傷つける言葉になることが多いようです。それはおそらく本音であり、真実に近いものだからだろうと思います。それを言ってはおしまいだという言葉にこそ真実が含まれていながら相手にとっては忘れようとしていることを思い出させる言葉なのでしょう。理性というふたが取れると滑るように奥深いところから魂がその意味を伝えるべく言葉に乗り移って相手に伝えてしまいます。本当は言うつもりの無かった言葉です。
ところがふたまでして奥にしまい込まれているものは相手を傷つける言葉だけとは限りません。心の底から相手のことを大事に想ったとき、自分はいつこんな気の効いた言葉を覚えたのだろうかという暖かいものがしみ出すように出てくるときがあります。暖かくリズミカルな言葉の連なりからなる詩は”照れ”という理性を乗り越え、魂の力を借りて出てきた言葉だからこそ人の心を打つのかも知れません。
-2001/5/17
●当サイトは全ページリンク・フリーです。連絡も要りません。
Copyright(C) 2000-2006 xSUNx(サン) all rights reserved.