心はどこにあるのかと問われたら、昔なら胸の中と答えたでしょうが、今なら脳と答える人が多いはずです。なぜ昔の人は心が胸の中にあると考えたのか、それは心の動きが心拍数や呼吸に影響を与え、胸をドキドキさせたりしたからだろう、と言われています。
それならば神様はどうでしょうか?神様はどこにいるのかと問われたら、昔なら雲の上の天国と答えたかも知れませんが、今なら何と答えるでしょうか?
昔、神様が天の上にいると考えられたのは、人間の力ではどうにもならない自然現象、特に日照りや雨や嵐などが神様のご機嫌次第で決まる、と考えられていたからだと説明されているようです。気象現象のしくみが解らなかった時代だったため、その不明な部分を補うために神様が創造されたというわけです。日照りが続いて作物が取れないのなら、神様の怒りを静めるために生け贄を捧げる必要がある、と考えたわけですが、この習慣が世界中のあらゆる地域にあったというのは驚きです。
ここで言えることは、自然現象などについての知識が不十分だったため、神様が雲の上に居ることにして自然現象を説明し、住民たちの不安がそれ以上拡大しないようにした、ということになりそうです。
しかし、雲の上を人工衛星が飛ぶ時代になった現在、神様が天に住んでいると考えるのはかなり無理があります。現在の神様はどこにいるのでしょうか?
十三世紀の、教会の力が絶大だった中世のヨーロッパに生まれたエックハルトという神学者は、”もし私が存在していなかったなら神も存在しなかったであろう”と説教し、周囲を慌てさせたそうです。でも素直に考えてみれば当然のことのように思えます。
誰もが知っているのに、おそらく誰も会ったことがない存在が神様ですから、そういう意味では明らかに神様は思考上の存在です。しかしその影響力は絶大で、しかも実在しないことを証明することができません。
それでも少なくとも今のところは、思考上の存在であるがゆえに思考する人が居なくなればその人にとっての神様もまた消えてしまいます。それは、テレビのスイッチを切ればそこに映っていた人物もまた消えてしまうことに似ています。夢が覚めたらその夢は終わり、ただ見たことを思い出すのみであることにも似ています。
生け贄や魔女狩りと呼ばれる習慣こそ消えて無くなりましたが、似たような事件は相変わらず続いています。そしてしばしばそこにいろいろな神様の名が語られるのです。でもその神様が実際に姿を現さない限り、それらは相変わらず思考する心の中で創られ続け、そして”そこに居る”ということになります。しかもその目的は、”住民たちの不安がそれ以上拡大しないようにするため”、であるに違いないのです。
-2004/3/26
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