たとえば悪を知るはずのない赤ん坊が、ハイハイをしながら部屋の中を動き回り、たまたま転がっていたスイッチを押してしまい、仕掛けていた爆弾が爆発して多数の被害者がでたとしても、それをもって悪だとは呼べそうにありません。
なぜなら、赤ん坊はスイッチを押すことが何を意味するのか知るはずが無いからです。
この場合に悪を行える人がいるとすれば、それは赤ん坊とスイッチを同じ部屋に置いた人です。赤ん坊が動き回れば、そのうちスイッチを押して爆発するかも知れないが、それはそれでかまわない、と考えた人です。
積極的に爆発させようとしたわけではないが、赤ん坊とスイッチを同室に置いたことで、結果として爆発してもかまわない、と考えたとすれば、これは”未必の故意”と呼ばれる犯罪です。
爆発物を使って人を殺傷すること自体が悪なのか、というとそうでもありません。それは正当防衛の場合です。自分の身を守るための正当防衛の場合は罪に問われないことが法律に定められています。どうも行為そのものより、決めたルールを守っているかどうかが決め手になりそうです。
つまり、ルールを守らないことが悪であるということです。ところが、人によっては、たとえ正当防衛であっても人を殺してはいけない、と考える人もいるはずです。その人は、社会のルールではなく、自分が決めたルール(信念)に従っていることになります。
ここでルールがあることを知らなければ、悪と知らずに悪を行う事になりそうですが、どうでしょうか?しかし、郷に入ったら郷に従えとは大人なら誰でも知っているはずのことです。つまり、ルールを知る必要があるのに、そのルールを知ろうとしないこと自体がすでにルール違反となって、”悪”とみなされます。
つまり、”積極的にルールを破るつもりは無いが、ルールを知らないからいつの間にかルールを破ってしまうかも知れないし、そうなってもかまわない”、と考えたとすれば、これも立派な”未必の故意”となりそうです。
悪を知らずに悪を行うことは限りなくむずかしそうです。
ー2003/11/5
(同タイトルはフランスの高校生たちに出された2001年の哲学の問題だそうです。)
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