”哲学”という名前そのものが人を遠ざける。得体が知れないし、忙しく立ち回る人は何の役にも立たないと考える。体を表さない名前の壁を越えられない。
ところが哲学という名称はお気に入りの店を見つけたときに誰にも教えようとしない人のように、わざと名称に壁を作っているように思える。
哲学はコンピューターにたとえればOS(Operating System)のようなもので、その存在を意識させない方が良いのかもしれない。
ところがPCの調子がおかしくなったとき、最後はOSを疑うように、社会の仕組みや自分の高度な健康が優れないと感じたとき、やはり哲学に戻って根本から考え直す必要があるのだと思う。
それほど大事な人間社会の基礎をなしているという自負があるから、役に立たないと言われようが、儲からないと言われようが哲学に関わる人々はびくともしないのかも知れない。
-2001/10/14