この24年間の北朝鮮の行為に腸(はらわた)が煮えくりかえるような腹立たしさを覚えた人も多いと思います。ところが、民主的な国であるはずの日本でも、実は過労死という名の犠牲者の数は拉致の被害者を遙かに凌(しの)いでいるというのが現実の姿です。
NHKの『クローズアップ現代』で最近多くなったとされる30代の過労死を取り上げていました。拉致と過労死とは話が違うと思いたいところです。「日本はそんな野蛮な国であるはずはない。」と思いたいところです。
それでも、”何かを始めたらとことんやらないと気が済まない。与えられた仕事は最後までやり遂げたい。こうした考え方のどこが悪いんだ”とも考えます。ここのところ、少しずつ聞こえてきたのは以下のような専門家の意見です。
「最近、高熱であるにもかかわらず、学校や会社を休まずに出てくる人がいる。このように、自分の健康を管理できない人達が増えている。自分の窮状を訴えることができない人が増えている。」
ついこの間まで、「少しばかり具合が悪いくらいで休むような怠け者じゃだめだ。」と言われ続けていたような気がします。しかし、これは日本が豊かな国になるための”徹底した教育によるもの”だったようです。国を豊かにするという目的が達成された今となっては、個人を大事にするように考え方が変わってゆくのが自然だろうと思います。
具合が悪くなってもそのことを人に知らせず、最後まで負けまいと頑張る姿は美しいとされてきました。しかしこれは豊かになるために望まれた姿であり、いつの時代でも望まれる姿は美しく描かれていたからだということになるのでしょうが、にわかに受け入れがたいことでもあります。
とはいえ、豊かになった今の時代でも、”聖人”以外のたいていの人には、自己との闘いのために頑張ることは必要だろうと思います。
どこまでの頑張りが自分の成長につながり、どのあたりを過ぎればやりすぎになるのか、このへんの判断は難しいところです。これは一生知り得ないことだという話も聞きます。
ただ、淫(みだ)らな欲望に囚われることだけが煩悩ではなく、たとえそれが尊いことだと信じて疑わないようなことでも、囚われてしまって身動きがとれなくなれば、それはやはり煩悩だと釈迦は考えたようです。
-2002/10/16
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