自己満足という言葉には必ず、”単なる”という言葉が頭に被さります。そして自己実現と距離を置こうとするのですが、元々は同じことではなかろうかという気がします。自分が満足する人生を送れたらそれに越したことはありません。ところが単なるという言葉が形容されることにより新たな意味になるという気がします。それは”表面的な”または”見せかけの”、あるいは”自分を取り繕うための”と言う意味がくっつくわけです。それは本当に満足していることにはなりません。ここでは自己満足をそうした言葉がくっついた意味として考えることにします。
1960年代、あなたは何のために仕事をするのかと言われて答える人の多くはそれは社会のため家族のためと答えたようです。ところが、70年代になると事情が変わって来て個人主義が進み、自分のためただと言う人が増えてきます。それは30年経った今でも変わってはいないようです。自分が生き甲斐を感じるような、面白いと感じるような仕事を求めているわけです。それはつまり自己実現と言えると思います。
ところが30年前は知りませんが、少なくとも20年くらい前でも、これから就職しようとするのに自分に向いた職業が解らないままの人が多かったわけです。中には先生に自分に向いた職業は何かと聞くとんでもない人もいた(いる)ようです。自分のやりたい仕事がはっきりするまでは出来れば仕事には就きたくない、責任ある大人になりたくない。これを最近はアダルト・チルドレンと言うそうですが、これはモラトリアム(猶予期間)、あるいはピーターパンシンドロームと呼ばれたこともありました。呼び方が違うだけではないかという気がします。
自己実現とはアメリカの心理学者マズローの分類によると人間の欲求の段階の最高位にあります。これは社会的名誉でもなければ、金持ちになることでもありません。不自由な過去の時代に比べると自由を得た分だけ、自己実現の方に向かわねばならず、しかもそれは人から与えられるものでもありません。自分で考えて自分で目標を立て、その実現のために動くのでなければ到達し得ない欲求です。
自分の無限の可能性を信じてその可能性を生かせる職種を探しても見つからず走り出せない。よく考えてから走り出そうとするからいつまで経っても大人になろうとはしない。でも大人とは考えがまとまってから走り出した人ではなく、走りながら考えている人だと思います。それに無限の可能性は大人になりきれない若い人に与えれる特権でもないでしょう。自己満足ではない自己実現を目指す人に等しく与えられていると思います。
-2001/5/4
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