小さな目を大きく見せてみたり、目立ってきた皺を隠してみたり、白髪を目立たないように黒く染めてみたり、あるいは薄くなってきた髪にかつらをつけてみたり、人は耐え難い現実を否定することによって、自分の気持ちが安定することをよく知っています。
急に動き出したバスや電車の中で、バランスをくずして派手に転んだとしても、数秒後には何事もなかったかのように振る舞うのが人間らしさというものです。
自分が実際よりはもっと美しく、そして強くあるんだと、なぜ自分を偽ってまで自分に言い聞かせねばならないのか、人間とは実に不自由な生き物だと思います。
美を求めて、たとえば美人画を描くようなときに、モデルに美人を選ぶのは当然すぎるほど当然だとは思いますが、描き続けるうちに美人ではない普通の人を描くようになることがあるようです。それは美人を描くことをやめたからではなく、普通の人の中にある”美”が見えるようになったからなんだそうです。
弱くあってはならないとか、醜くあってはならないと、ことあるごとに現実の自分を否認してしまう不自由さから、いつになったら解放されるんでしょうか?
おそらく解放されることは無いんだろうと思います。しかし、それではあまりにも気の毒だと神様は考えたのかも知れません。それが人間らしさなんだということを、客観的に理解するための能力を与えてくれたようです。
-2003/11/14
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