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差別と人間的成長の関係


 小学生の頃の帰り道、ある同級生の女子のことを”百貫(ひゃっかん)デブ”と呼んでからかっていました。百貫は375Kgになるようですが、当時はそんなことは知らないまま、”とんでもないデブ”という意味で、語感のおもしろさも手伝って、その同級生を笑わせ気を引こうとしてこう呼んでいたわけです。しかし、今考えてみるとからかいにしか思えません。もちろん、その同級生はそんなにデブではありません。

 同級生の女子を笑わせ気を引くにしてはあまりにも稚拙(ちせつ)だし、これは真正面からぶつかる方法を知らない、あるいはそれでは太刀打(たちう)ちできない人にありがちな、いわばひねくれ者の野蛮さが良く現れた例とも言えます。

 どこかの国の男の子達は女性が化粧や服装やアクセサリーを変えた場合は、無条件にそのセンスの良さを褒めるようにしつけられるそうです。褒めるにあたってその理由を探す必要はないわけです。これはきっとその国で男達が生きてゆくために必要な知恵なのでしょう。

 人類は500万年前に生まれたとされていますが、富が蓄積されて文明が生まれるに従い、支配する側と、支配される側の奴隷が生まれています。その奴隷が解放されたのは19世紀になってからでした。こうしたせっかくの人類の歴史的進化もDNAによっては受け継がれないようです。

 従って、ヒトは野蛮人として生まれ、環境や教育や経験によってやっとのことで差別の意味を理解できるような”人間”に成長するのだろうと思います。

 ここで、現在でも続いていると言われる同和地区の人々に対する差別について考えてみたいと思います。同和地区の出身だというだけで、就職や結婚が制限さえるという現実がいまでも残っていると言われています。

 もし、あなたがこれから結婚しようと考えている相手が実は同和地区の出身だと告白されたらあなたは心変わりするでしょうか?それともびくともしないでしょうか?

 偏見が本当のことを正しく理解していないために起きているのなら、事実を知ることによって取り除かれることもあるはずです。以下に同和地区についての事情をまとめてみました。


 同和問題の歴史は戦国時代にさかのぼるようです。この時代の日本は諸行無常の教えのごとくに、下克上の時代で天下をとったり落ちぶれたりを繰り返していました。人生でも浮き沈みを多く経験しますが、人間が沈んだ後も力を失わないのは、また浮かび上がろうとするからです。

 ところが、戦国の世も終わりに近づく豊臣から家康の時代になると天下がひっくり返ることを恐れて、身分と職業を固定し始めます。徳川家康は”自己防衛”のために人々から職業選択の自由を奪ったわけです。凡人による差別は周囲の人にだけ害をもたらしますが、権力を持った時の為政者が”自己防衛”のために差別を行うとその被害は全国に広がります。

 困ってしまったのは、たまたまこの時点で士農工商のさらに下に分類、固定化されてしまった部落民と呼ばれる同和地区の人々です。

 明治になって、政府は西洋の近代化にならって士農工商ともう一つからなる身分制度を廃止しますが、当時の政府の無関心と無知により、明治憲法下はもちろん、平和憲法下の戦後になっても同和問題は放置されていたようです。

 戦後、同和地区に住む人々の住所や職業一覧などが書籍化されて、企業の人事にばらまかれて就職差別、興信所や探偵社にばらまかれて結婚差別等が行われるようになって、これではいくら何でもひどいという世論が起こり、差別撤廃の法律ができました。これによって、改善はされましたがまだ残っているようです。

 今では差別をする理由が自己防衛のためだということが知られるようになってきました。しかも、厳しいことに差別をするということは、「私は差別以外に自己防衛のための手段を持たない未成熟な人間です。」ということを世間にアピールすることをも意味しています。

 ところが、それに気がつくどころか差別を正当化するためにとんでもない偏見を披露する人もでてきます。つまり、「同和地区の人々は中国の北の方からやってきた人達で日本人とは違う民族だから差別されても仕方が無い」という主張です。

 しかし、この主張は非常に危険です。つまり、弥生人にはその中国の北あたりからやってきた人々が多く含まれており、日本人はその弥生人と縄文人との混血だとされているからです。つまり、この論法でゆくと、こんなことを主張している人自身が”中国の北あたり”からやってきた人々の子孫である可能性が非常に高く、自分こそは差別されるべき人間だと主張することにもなりかねません。

 さらに民族が違うという理由で差別ができるということは、「私は自国の文化や他民族の文化を理解できない人間です。」ということをアピールするようなもので、どう考えても自己防衛の役に立っているとは思えません。

 殺生を嫌う仏教の教えから、江戸時代には畜肉を処理する職業を卑しいと考えたとも言われています。ところが当時の仏教は為政者によって骨抜きにされており、本来の釈迦の教えとは隔たりがあります。畜肉を食べてはいけないのなら、それは魚も同じで、植物だって命があることには変わりはありません。

 もう一つは身分の違いをつくって、身分の高い人に従うのは儒教の教えに従うためだとも言われていますが、これも都合良く歪曲されています。儒教の祖”孔子”はそんなへんちくりんなことは言っていません。目上の人が尽くす礼には応えるべきだが、無条件に従えという意味ではなく、その人が間違っていたら正すべきだと言っています。(子曰く、忠信(ちゅうしん)を主とせよ。学而)

 自己防衛を差別に求める未熟さから自由になるのは難しいことです。それでも、最近の自分は多少は成長し、女性の気を引くために”百貫デブ”という言葉は使わなくなっています。


-2001/3/1 初版
-2002/9/1 全面書き直し


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