あの瀋陽の領事館に駆け込んだ5人の北朝鮮家族のビデオを見た日本人の多くが、泣き叫んでいる女の子を助けようともしない領事館職員(日本人)の姿を見て恥ずかしいと感じたようです。
恥ずかしいというのはどういう意味でしょうか?日本人の言う平和主義とは、困っている人がいても見て見ぬ振りをして争わないようにすることだということを、領事館の職員の姿を借りて世界中に示してしまったからでしょうか?
多くの日本人はプライドが高く、”名誉ある地位”を望んでいるはずです。ところが、それに遠く及ばない不名誉な姿を世界中にさらけだしてしまいました。
裸の王様が恥ずかしいとしたら、それは裸で歩いているからではなく、王様として望まれる人格があってその人格に遠く及ばないと言うことを裸という形で世に示してしまったからでしょう。
裸族が裸でいる自分を恥ずかしいと感じるようになるとすれば、それは文明のもたらす享楽的な世界に惹かれてしまう自分を正当化するためかも知れません。
金が欲しいと思う人は貧乏を恥ずかしいと思うだろうし、出世を望む人は出世できない自分を恥ずかしいと思うでしょう。したがって、何を望むかによって、何を恥ずかしいと思うかが違ってくるように思います。
世のおばさま達が図々しくなる理由を考えてみます。
図々しくなる理由は羞恥心を失ってしまうからだと良く言われます。これまでの論法に従えば、羞恥心を失ったのはある望みを棄てたからだということになります。どんな望みを失ったのでしょうか?
それはきっと、恋をしたいと願う気持ちを失ったのだろうと思います。恋をしたいと思えば、恋をするにふさわしくない自分であることを恥ずかしいと感じ取るはずです。
火葬場で焼かれてしまう寸前まで、理想の異性を求めて恋をすることを忘れなければ、自ずと恥を忘れずお行儀が良くなるのではないかと考えています。
-2002/6/10
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