”希望”だけは無理矢理にでも探し出す価値があり、決して捨ててはいけないものです。ところがこの言葉には迷いに繋がる罠がその周りに転がっています。
希望が大きければ大きいほどそれがかなわなかったときの失望も大きいから初めから期待しないようにしようと思うときもあります。ところがこう考えると罠にかかるのです。たしかに贈り物を期待して大きな袋を用意したのに期待はずれで袋は空っぽだった場合、大きなショックとともに空しくなります。「人生ってこんなことの繰り返しさ。」という感じですが、次の不等式が示すように実はもう元はとっています。
希望の大きさ x その期間 > 0
ところが期待外れであったことばかり考えていると次の式が成り立ちます。
希望の大きさ x その期間 + 失望の大きさ x その期間 < 0
実際はこれが分かっていても、なかなか計算通りに考えられないものですが・・・ さて人間が次に何をするかは外からの刺激と過去の記憶を基礎にした思考が決めているようです。そして外からの刺激の8割は目に見えるもので、進もうとする方向つまり前を見るように出来ています。自分自身の姿を見る事はできません。自分自身の姿はその人の想像力によって作られている言えます。
先に何が起きるか知る人もおらず、現在の自分を正確に知る人もいません。喜びや悲しみの感情の多くは前方に広がる景色から予想される期待であり、不安であるとも言えます。両者とも人の行動を助けてくれています。希望を持てば前に進むときの足取りが軽くなるため、すでにその時点で大いに自分の役に立っているので元をとっていることから、希望は叶わなくて元々。叶えばおまけをもらったようなものなのかもしれません。
-2001/4/13