孔子は早くに父親を亡くして母子家庭で育ったため、青春時代は生活のためにあらゆる職業を経験したそうです。そのこともあってか、富貴(ふうき)を求める人の気持ちを否定はしなかったそうです。
足りないものがあれば、それを手に入れたくなるのが人情です。金に困らなくなるために財産が欲しい、そのためには出世するのが一番と考えても不思議ではありません。そして多くは富貴には至らぬまま一生を終わるわけですが、それでも自分の人生はまんざらでは無かったと思うに違いないのです。
戦乱が続いて豊かとは言えなかった春秋戦国時代の古代中国で、孔子は富貴を目指すのもよいが、その過程が大事だと説いたようです。不心得者が出世して財産を得ても、恥をかくばかりで面白くもないだろうから、とも考えたそうです。
部屋の広さが何十畳も何百畳もある家に住んでいても、自分が寝るときには一畳もあれば事足りるわけです。それならばなぜ人はそんなに広い部屋を欲しがるのだろう、と疑問に思うことがあるかも知れません。それは比較優位を示すため、つまり周囲に自慢するため、と知ったらどうでしょうか?これも周囲にまだ自慢する相手がいるうちはよいのですが、夜1人になるとその相手もいなくなり、広い分だけ空疎です。
食うや食わずの状態なら、もちろん食料にありつけるだけでこの上ない幸いです。しかし多くの日本人はこの幸いを失ってしまっています。幸福感を得るために、比較優位を感じ取ることによって快感を得るという方法もあります。個人的には他人より劣ってばかりでも、自分の属する団体や国が他の団体や国より優れていることを感じ取ることができれば、幸いを呼び込むことが可能です。
これも悪くはありません。特に今夏のように、オリンピックなどの国際競技大会で日本選手やチームのメダルラッシュが続けば、祭りのような陶酔感に浸れます。しかしそれは長くは続かないし、第一メダルを取ったのは自分ではありません。
振り返って自分の日常を眺めたとき、なんらの進歩もない日々に気がついて愕然とする人がいるかも知れません。比較優位ならぬ比較劣位を思い知らされる瞬間です。富貴になるという結果によって得られる快感も、比較優位という結果を感じ取ることによって得られる快感も、長続きはしない、といえそうです。
自分自身が前に進んでいることを感じ取ることによって得られる幸福感、これが一番確実で手頃です。幸か不幸か、進むべき”前”はいくらでもあるし、たいして金もかかりません。
孔子は富貴を求めるあまり、仁を失ってはならない、と説きましたが、今風に言うと、金が欲しいのは分かるが、そのためにオレオレ詐欺をやるようなろくでなしになってはいけない、と言っているのでしょう。
実際オレオレ詐欺はリスクも高く、持続的とは言えない商売です。せいぜいもうけても数千万程度、しかもいつ後ろに手が回るか分かりません。それよりは普通の会社員で年収五百万でも、二十年間で一億稼げます。四十年なら二億です。
結果を急ぐ人の心の奥には何が隠れているのでしょうか?期日を守るために早く仕事を終わらせようとして遅くまで働いて家にもろくに帰らず、早く一人前になって、結果を出して周りからも尊敬される人になって・・・。そうしている間に年老いて亡くなってしまうわけですが、人生の結果とも言える終焉は死であるため、結果を急いで居る人は死に急いでいる、と言えなくもありません。
しかし仮にそうであったとしても不思議ではない、という気がします。多くの人が、どうでもよいことのために、多くの時間を費やしているのように見えるのは、退屈という不幸を避けるため、とも言われているからです。
それは、用はなくてもせわしげに動き回るのが、人間の宿命であるためかも知れませんが、私はその宿命とやらに逆らって、結果を急がず過程を味わってみたい、と思うのです。
-2004/9/11
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