緑が深くなってきた散歩道を歩きながらこんなことを考えました。
不安が後ろにあればそこから遠ざかろうとしてとにかく前に進もうとする。希望が前にあればこんどはそれに近づこうとしてやはり前に進もうとする。後ろからは背中を押されて前からは引っ張られるから無理がない。
それはまるで今にも崩れ落ちそうな住処が不安になってそこを後にし、新しく丈夫な家に向かって引っ越しをするのに似ている。それはまるでつぶれそうな銀行に預けた預金をおろして頼りになる別の銀行に預けることに似ている。そしてそれは浮気な恋人に愛想が尽きて新しい恋人のもとに向かうのに似ている。
ところが世の中はそんなことばかりでもない。
進もうとする前方に希望も不安も無い人は退屈する。不安のみある人は憂鬱になる。希望のみある人はそこばかり見つめて周りが見えずに突っ走る。
後ろに不安だけがある人は追われるようにただ焦り、前には進むが何を目指しているのか解らなくなる。それはまるで将来の不安を少なくしようとして言われるままに生命保険に入ることに似ている。それはまるでせめて人並みでありたいと希望を忘れて人様の後を追いかけることに似ている。
よくよく考えてみると、前にも後ろにも希望も不安もあるとも言えるし、無いとも言える。目も鼻も口さえも進む方向に向かうように顔に集まっている。これはきっと人間が前に向かって進むためにこうなっているに違いない。ただし、どこへ進んでも進む方向が前になる。
だとすれば、不安を後ろに置いて後押ししてもらいながら、希望は自分のペースに合わせて前方から探すのがいい。その方がきっと自分らしく生きられる。
-2001/6/1
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