一年の計が元旦にあり、一日の計が朝にあるのなら、一生の間に幾度も行き詰まりを経験するように一日の中にも小さな行き詰まりが待ち受けているに違いない。たとえその日のうちに行き詰まりから抜け出せなくても、眠っている間に思考の連鎖を組み替えて、朝には少しはましになっている。
行き詰まりという奴はきっと、受けた刺激を消化しきれずに、モヤモヤしたものが体中に溜まって外に出せずに、言いたいことや、やりたいことがいっぱいあるはずなのに、糸口が掴めないからまとまった力にならないのだろう。
受けた刺激に対して自分なりの表現が出来れば嬉しい。自己表現は自分だけにしかない思考の連鎖が創り出すもので、受けた刺激に対して瞬間的に反応することもあれば、何十年もの間自分の中にモヤマヤしたままで眠り続け、忘れた頃に複雑に反応することもあるに違いない。
だから、行き詰まりは行き止まりではなくて、「ちょっと待ってくれ」と伝えようとする、もう一人の自分の叫び声であるに違いない。「ちょっと」がちょっとでは無かったりすることはあっても、そのうち新しい自己表現がやってくることを予感させる。
その自己表現の手だてを見つけるためなのか、それともただ逃げ回っているだけなのか、時々全く関係の無いようなことをやりたくなったりする。一体いつ実を結ぶのか?きっと、人によって生きている間に自分なりの表現に至る人と、間に合わずに寿命が先に来てしまう人の二種類の人間に分かれるのではないかという気がする。
-2001/11/25
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