青年は経験が足りないが、希望は持てると考えている。生きてきた時間よりこれから生きる時間の方が長いと考える。老人は経験はあっても希望を持つ事が難しいと考える。それはこれから生きる時間が短いと考えるからだと思う。
どちらも同じ人間なのにお互いにいつ死ぬかも分からぬまま、多いとか少ないとか勝手に決め込んでしまう。人はいくつになっても残りの人生は後半分だと思ったほうが良いと思う。明日死ぬかもしれないが後100年生きるかもしれない。遺伝子を解明する人ゲノム計画は人間の寿命を飛躍的に延ばすかも知れないし、明日は大地震が起きて死ぬかもしれない。
老人は自らの犯した間違いを身近な青年に伝え、同じ失敗をしないようにと世話を焼こうとするが思うように伝わらない。青年はそれを聞こうとしない。なぜなら退屈な話だからなのだと思う。いくらでも他にやりたいことはある。自分の祖父母の忠告さえも聞く耳を持つことは難しい。
老人はこれまで生きてきたなかで、もっとも大事なことを知るに至ったと思い、それをやはり青年に伝えようとして失敗する。青年もやはり聞こうとしない。それはそうだと思う。最も大事なことは教えて貰って分かることじゃない。甘くて苦いものを噛み締めないと分からない。話して聞かせて分かるくらいなら老人の有り難味も薄れる。
でも老人はもう分かっていると思ってはいけないのだと思う。青年より歳を重ねてはいるが神や仏になったわけじゃない。青年に思いが伝わらないのは伝える術をまだ身に付けていないことを意味する。その寂しさは自分がまだ未熟な青年である証拠。どうしても伝えたいことがあるのならこれからその術を学ぶのが良いと思う。なぜなら後半分も人生は残っており、十分に時間はある。
-2001/1/14
-2005/9/24 タイトル変更
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