編者は無意味であることを証明し、この世から外の別の世界に生きたがっている人たちにその言い訳を与えようとしているのではない。これは誰もが一度は疑問に思いながら、避けて通ろうとする問題だ。真剣に考えようとすればするほど分からなくなる。
司馬遼太郎氏の著作には仏教の開祖、釈迦についての記述がある。釈迦は人生は無意味だと考えたようだ。しかし、だからと言って弟子達に対して人生は無意味だから生きていても仕方が無いと言い放ったのではないらしい。それではあまりに寂しすぎると考えたようだ。
人生が無意味かどうかを考える前にその”意味”とは何かを考えなければいけない。”意味”とは”目的”、”理由”、”意義”、”価値”のことだと思う。できれば自分が生まれてきた目的や使命があって欲しいと願うときもあるが、どう考えても見つからない。自分だけではない、人類全体でさえ、この地球に与える影響を考えれば、人間の存在そのものが無意味だという気もしてくる。人間が存在しないほうが地球はもっときれいな青色をしているのかもしれない。
しかし、自分は自殺していく人々の報道を耳にするたびに勿体無いと思う。なぜなのだろう?人間の存在そのものは無意味かもしれない。しかし、だからといって、自らの手でこの世を去った人々が不要だとはどうしても思えない。
自分がこの地球に一人だけの人間だったとした場合,人生に意味が無いと考えて死んでしまうのだろうか?そうではないと思う。他に人がいなければ、動物と仲良くしようと考えるだろう。そしてその動物たちの役に立ちたいと考え、そこに意味を見つけるかもしれない。
釈迦は人生が無意味だと思う空しさを埋めるために教えを説いたのかもしれない。地球にとって人類が存在することの意味を探すのは難しくとも、一人一人の人間にはその人を必要とする人がいる限り、生きることの意味が生まれてくる。必要とされる人間に生きる意味が生まれるのだとすれば、必要とされる人となるための教えを釈迦は説いたのかもしれない。
自分は誰からも必要とされていないと思うことほど寂しいことはない。自分は望まれて生まれてきたのではないと考えることほど苦しいこともない。必要とされないことを無意識のうちに極度に恐れるがゆえに、人に嫌われることを避けようとするのかもしれない。必要とされない人などこの世には絶対に存在しないと思う。
-2000/11/25
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