人は何も行動を起こさずに生きがいを感じることはできないのだろうと思います。楽しい事を思い出して表情に笑顔を作る事は出来ても、それだけで生きがいを感じる事はできません。
不幸な人とは生活に追われている人ではなく、退屈している人だと言われています。何らかの行動を伴わなわなければ新たな喜びが生まれてこないためだと思います。それが自分に富をもたらすものであろうが、無報酬であろうが、たとえ感謝の言葉が無い場合でさえ、心と体が密接な関わりを持っている限り、何らかの行動が必要だと思います。
建設現場で鉄骨を運ぶ人は出来上がるであろうビルの姿やそこで暮らす人を思い浮かべることで運ぶ力が湧いてくるのではないでしょうか?そして得られる収入が家族の喜ぶ顔につながるのであればなおさらだと思います。
ファースト・フードで直接お客さんに接する人はお客さんの喜ぶ顔がやりがいへとつながります。
信号のない交差点の中央に立ち、交通整理をする人は自分の体の動きに合わせて車が動くことの快感に加えて、車の流れをスムースにしている事に静かな喜びを感じるではないでしょうか?
教師になって生徒を教える人は生徒たちの成績が上がる事と人間的な成長を見る事で、感謝の言葉で感激するまえに、教師になって良かったと思うのではないでしょうか?
製品を作る事自体に興味を持つ人でさえ、その製品をお客さんが嬉しそうに買っていく姿を見かけたら感激するに違いありません。
種まきから始まる米作りをする人は田植えや用水路の整備、夏の熱い時期に必要な草取りと病害虫の駆除を経て収穫を迎え、黄色く実った稲穂を見る事ができます。それを見るだけでも嬉しさがありますが、それが人を喜ばせれば来年もまた作ろうと思うのではないでしょうか?
船酔いをする漁師でさえ、魚が取れれば酔うことを忘れて夢中になります。それがうれしいと感じるのは誰かの顔を思い浮かべているからではないでしょうか?
料理を作ること自体に喜びを覚える人でさえ、より美味しいものを作ろうとするときは、食べる人の喜ぶ顔を思い浮かべるのではないでしょうか?それがあるからこそ一流の料理人になれるのではないかと思います。
どんな職業や行動にも生きがいのもとが隠されているにもかかわらず、すべて上手く行くわけではありません。せっかく就職したのに希望の職種に就けなかったと思う人でも予想外にその仕事の面白さに気づく事もあります。しかし、人は常に自分の本当にやりたい事を捜し求めているのではないでしょうか?より大きい喜びを求めているのではないでしょうか?
フリーターと呼ばれる人が責任を伴う立場をただ避けようとしているとか、一時的な遊びのための時間と金を得るためだけに生きているとは思えません。時代はその人の外見や行動を変化させても心の中まで変えてしまうわけでは無いと思います。
より大きな生きがいを得ようとすれば、何かを捨てなければいけないと思います。大事な人を捨てる事はできなくても世間体を気にする気持ちを捨てる事は出来るでしょう。一番好きな事をやめる事はできなくても3番目に好きな事をやめる事は出来るかもしません。それぞれの人に応じた出来る事をすぐに始める必要があると思います。
-2000/11/29