うつ病患者は少し元気になるとすぐ自らの命を絶とうとして知恵を絞り出すのだそうです。それほどまでに生きることが苦しいと思うのは真面目に自分が生きていることの意味を考えるからだろうと思います。おそらくちょっと真剣に考えたことがある人なら自らが生きていることの意味を探すのが如何に難しいかは良くお分かりのことと思います。
こんなコラムを書いている編者は死を急いではいません。正直に言うとそんな未知の世界に飛び込む勇気もなく、この世にまだやることが残っていると自分に言い聞かせながら生きているわけです。
人が出会いを求めるのはその相手を見つけることによって自らの存在価値を高めるためだろうと考えています。そして子供が出来たなら、子供が居てくれることによって親となった自分の存在価値が高まります。子供も親が居ることによって自分の存在価値が高まります。
学校において生徒や児童は先生にとって厄介な教え子ではなく、先生自身の存在価値を高めてくれます。生徒や児童がいない学校には先生はもはや必要ありません。会社はそこの仕事を必要とする人がいないとなればやはり必要ありません。民間会社はそのまえにつぶれてしまうので社会的使命を自然に終えることになります。存在価値もないのに存在し続ける団体があるとすればもっとも不幸なのはそこに税金をつぎ込んでいる国民ではなく、そこで働いているまねをしている従業員です。生徒のいない学校に先生が要らないように、必要とされる仕事を持たない団体には従業員は必要ありません。
そんな人々を「胎児のまま腐敗する人々」と呼んで怒りをぶつける人が居ました。その文章を読みながら小気味よいと思う一方で、そんな風に表現してその人達を不幸にする必要は無いと考えました。もう十分にその人達は不幸だと思ったからです。
編者が高校の時、生意気そうな新入生を呼びつけて「おまえはなっちゃいない」と叱りつける”引っ張り”という所行が流行っていました。不心得な編者はその生意気な新入生の一人に加えられ、ある日校舎の裏側に呼びつけられました。当時から背が高かった編者は呼びつけた先輩の気を悪くしないようにわざと低いところに立ち、静かにおしかりの言葉を受けたものです。反発しようものなら相手の思うつぼです。正直なところそんな先輩を軽蔑していました。そんなことでその先輩の存在価値が高まるようには思えなかったからです。
それでも、そんな自分が繰り返し犯した過ちは偉くなるから自分の存在価値が生まれるのではなく、必要とされるから自分の存在価値が生まれるということになかなか気がつかなかったことです。
-2001/8/1
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