テレビで放送されたボクシングの試合で、「どう考えても負け」と思わせる試合が勝利だったようです。その結果に一部はすなおに感動し、そして大半は「しらけ」ました。実際にフェアであったのかどうかより、フェアでなかったと思わせる試合はエンターテインメントには適していません。なぜなら、それでは観客が楽しめないだけでなく、客が集まらなくなるため主催者も商売にならないからです。放送なら次の視聴率はガタ落ちです。相手(観客)をしらけさせるのは危ない行為です。
ご存知の方も多いと思いますが、同じような話は、その年に活躍した人に与えられる「賞番組」にもありました。それが、本人の実力よりも事務所の力で大賞が決まったらしいと知らされれば、見ていた人はしらけます。そして、その「賞」の評判は地に落ちます。観客は真剣勝負を期待しながら楽しむからです。
それでも、スポーツや娯楽の世界で「やらせ」があれば、別の楽しみを探せばよいだけのことです。それより、相手(視聴者)をしらけさせる「やらせ」は競争相手を利する、危ない行為です。もし競争相手のスパイが入り込んでいたら、きっと「やらせ」で相手を地に落とすでしょう。
人生もまた闘いであるため同じようなことが言えると思います。人生の場合、楽しむ以前に普通にやるだけでも「闘い」が必要になります。そんな人生における闘いで、もし、どこかの誰かによって、勝ち負けが決まっているとしたらどうでしょうか?きっと、「しらけ」を通り越して、怒りを感じるはずです。
自爆を覚悟してテロを行うテロリストは、自分の可能性を奪うしらけた社会に絶望しているときに、アル・カイーダのような組織に支援され「人生の目的を吹き込まれた人々だ」という考え方があります。
「イスラエル・レバノン危機」でイスラエルは、イスラエル兵を拉致したヒズボラに対抗して、飛行機を飛ばし空から爆弾を落として公共施設だけでなく子供たちを含む市民を爆撃しています。これに対して、ヒズボラはロケット弾で応酬していますが、イスラエルが軍事的に圧倒する闘いです。この戦力の違いは、アル・カイーダにとっては「アンフェア」の見本として、テロリストの卵たちに教育されているに違いありません。
イスラム社会そのものはテロを望んでいるわけではないようですが、「アンフェア」であることもまた望んでいないようです。そんなイスラム社会に、イスラエル・レバノン危機は、アンフェアに見えるイスラエルやそこを支援する欧米を、敵として強く意識させる効果があるように思います。イギリスやアメリカは、テロリストを非難しながら、一方ではテロリストを思想的に支えているとしか思えません。つまり、相手をしらけさせる行為のなかでも、一番危ない行為です。
-2006/8/11
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