脚本家の山田太一さんはエッセイの中で、他人は人の喜びを悲しみ、人の悲しみを喜ぶ。だからせめて家族の中だけでも喜びを共に喜び、悲しみを共に悲しめないものか・・・と、書いているそうです。
人が他人の不幸を蜜の味だと考えるのは常に自分の幸不幸を他人との比較によって確認しているためだと思います。自分だけをみて自分が幸福だと判断するほど自信のある人はそう多くはないということでしょうか。ところがそんな人の不幸を喜ぶ自分に気づいたとき、あまりの自分という人間の出来の悪さに悲しくなるときもあります。これはだれもが抱える自己矛盾ではないでしょうか?
こうした自己矛盾は人によってそのいずれを強く思うかの違いはあっても、いずれか一方だけの人は存在せず、そして個人がどれほど人間的に成長してもその程度に差が出来るだけなのだろうと考えます。
しかし、世の中には醜く老いる人と美しく老いる人がいるように、その違いはたしかに出てくるように思います。こころのあり方が体に与える影響は多くの方面で研究が進んでいますが、”人の不幸は蜜の味”とだけ強く考えて生きていく場合は、それが体にどう影響を与えるのでしょうか?以下は編者の推論です。
- 人の不幸を知って自分がそれ程不幸ではないと考えホットする
- ホッとするからそれ以上考えないようになる。
- 考えないから考えるための神経細胞が死滅したときに再生されない。
(25才で脳の成長は止まり、それ以降は老いるに従い、少しずつ死滅していくようです。ただし、大部分(80%?)の脳は遊んでおり、死滅した細胞に代わって働きはじめると言われています。編者は新しい細胞にその役割を譲る場合には考えること(つまり脳を使うこと)が必要だと考えています。)
- 人の不幸を望む気持ちがさらに強くなる。
- 自分が不幸だと感じたときは人のせいだと考えるようになる。
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- 人を妬んだり、怒りやすくなり循環器系の病気が増えて、寿命が縮む。
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蜜の味も永くは続かないようです。
-2001/5/22