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泥棒らしからぬ泥棒


本人に黙って人の物を奪えば窃盗犯。堂々と奪えば強盗犯になる。犯人はそのうち後ろに手が回りご用となって割に合わない生活を送ることになる。だから、誰もが人の物を取ってはいけないと教える。

物を取るのが泥棒なら、電気は盗んでも罪にはならないだろうと考えて電柱から線を引っ張ってきて電気代を払わずに使っていた人が捕まったことがある。電気は物では無いとその人が主張したため、電気を奪っても罪になるように法律が変わってしまった。

セクハラとか名誉毀損という罪は泥棒とは呼ばれない。しかし、人の幸福な時間を奪ってしまう疑いようもない強盗犯だ。物は取り戻せるが、時間は取り戻せないから強盗犯より罪は重くなければいけない。

このへんの意識が徹底されてくると結構住みにくい世の中になる。人の気持ちを理解できない人は喋ることも動くことも難しくなる。不幸にも人に出会ったら、誰も傷つかない天気の話がいい。綺麗に着飾っている人を褒めるつもりで「綺麗な服ですね。」などと言ってはいけない。それでは服は立派だがそれを身にまとっている人はたいしたことは無いと受け取る人もいる。その服を選んだセンスの良さを褒めようとしたら、別の人が選んでいたりなんかする。相手がどんな人間なのか理解出来なければ、お世辞が皮肉になってその人の幸福な時間を奪ったという容疑で取り調べを受けるかも知れない。

ところが、多くの人達は証拠不十分で釈放されるに違いない。どいつもこいつも、もちろん自分も強盗犯ばかりだ。こんなことばかりしているから牢屋にはいることはなくても牢屋に入ったような生きの苦しみを味わう。

それでも、この世もまんざら捨てたもんじゃない。人の幸せな時間を奪う人もいれば、幸せな時間を与えてくれる人もいる。やはりその人達の多くも証拠不十分で勲章をもらうこともなく、一生を終わる。

悪に染まりやすい自分がその見えざる泥棒から遠く及ばないところで暮らすためには、その勲章をもらい損ねている人達のそばに寄るしかない。その人達の価値を認めているのなら、発する言葉は世辞でも皮肉でもなく、褒めているつもりはないのに、周りからは褒めていると言われるかも知れない。

しかし、そんな世界に至る過程で、人の幸せな時間を奪う泥棒行為を何度も繰り返してしまうのかも知れない。


-2001/12/16





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