やれと言われるとやりたくなくなるのが人情というものです。朝礼などで校長先生があいさつをしなさい、と言うたびに、したくなくなっていたのは自分だけだったのでしょうか?心の中では反抗しながらも、郷に入っては郷に従えとばかりに、物わかり良くそれなりにあいさつをしながら毎日を過ごしていました。なぜあいさつをしなきゃいけないのか、当時の大人に聞いてもムダだと思いながら日々は過ぎ去り、今では自分がその大人になってしまいました。
子供の頃の自分が、大人になった今の自分に向かって、なぜあいさつをしなきゃいけないのか、と聞いてくることがあります。そこでささやかな見聞と経験を元に、この疑問に対する答えを探してみたいと思います。
相手に自分が敵ではないことを示すためにやるのがあいさつだとか、手に武器を持っていないことを示すためにやるのが握手だ、と言った話を聞いたときに、あいさつの意味はこれかも知れない、と思ったものです。敵の多そうな海外で、いかにもありそうな話です。敵とは言わないまでも、似たようなことがあいさつをする過程で常に起きているように思います。
我々があいさつをする過程を振り返ってみましょう。通りの向こうから知り合いがやってきたとき、まず最初の視覚情報が入ります。次に、お互いに目であいさつします。これが二番目の情報となり、知り合いであることがほぼ確定します。声が届く距離まできたところで声を出してあいさつをすれば、これが第三の情報になって、相手を認知するプロセスが完了することになります。
このプロセスは、つねに不確定→ほぼ確定→確定の段階を経ると言えそうですが、これは別の言葉で言えば、
@不確定=不安=不審=不快な状態、
Aほぼ確定=少し不安定な状態、
B確定=安心=安定した状態
となりそうです。目や声での反応(あいさつ)がない状態は、リンクをクリックしてもジャンプしないWebサイトのようなもので、意識する以前にイライラが溜まります。特に最近はあらゆる製品がユーザーフレンドリーに出来ているため、すぐに反応してくれるものばかりで、それに我々はなれてしまっています。
子供の頃の自分に、あいさつはしなきゃいけないんですか、と聞かれたら、「君がもしゲームが好きなら、そのゲームに負けないくらいの素早さで、会う人たちにあいさつをすれば、君は人生というゲームで勝てるかも知れないよ」とでも答えておきましょう。
-2005/11/22
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