おそらくその人は小学校、中学校、高校と学力ではトップレベルだったのだろうと思います。そして世間もうらやむ大学へと進みます。卒業後も企業で才能を発揮して、その世界では有名な人となります。しかし、人生いいことばかりは続きません。数年前に体を壊してから家のなかに引きこもりがちになり、今年のクリスマスの数日前に自らの手でこの世を去ったと聞きました。その人を良く知る人は理由が分からないと言います。どうしてあれだけ人もうらやむほどの才能を持っているのにと不思議に思うのです。
問題集に書いてある問いを解くには教科書や参考書との付き合いが嫌でなければ間もなくその答えを見つけることが出来ます。そんな人にとっては解くこと自体が楽しいと聞きます。そしてそれによって世間の評価は上がっていきます。しかし、それは残念ながら人間としての評価ではありません。
苦難に見舞われたときに見出すべき答えはその問いの種類があまりにも多すぎて本の中にさえその答えを見つけることは困難です。そして世間的な評価が高いということからくるプライドの高さが逆に謙虚にその答えを見つけようとする自分の行為を嫌うのかもしれません。
どんなに優秀な人でもただ優秀だからという理由だけで自分の存在価値を実感することは困難です。なぜならどんな優秀な人でもさらに優秀な人はいくらでも存在し、たとえその人が存在しなくても世の中は何事も無かったように進んでいくということをすぐさま理解できるからです。
成績が悪い人や、器量が良くない人は生まれて間もなく、それに気づき、それでも生きていくための術を学ぼうとして、学力向上に結びつく行動に身が入りません。そして世間の評価は低いのです。大人になる頃にはたとえつまらないと言われようが自分なりの存在価値を無理矢理にも作り上げます。だから、強いのだと思います。自分は雑草のようになってでも生きていくと訳も分からず強く思えば力も湧いてきます。しかし、その雑草になりきれない人は人を魅了する奇麗な花のように命が短いのかもしれません。そしてまた咲くであろうその奇麗な花を待ち望んでいる人達がいることに気が付かないのだろうと思います。
-2000/12/26
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